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【アニメ×哲学】『進撃の巨人』における自由とアレントの思想との絡み合い

  最近、進撃の巨人を見返した。改めてイッキ見すると、今まで気づかなかった哲学との絡み合いが見えてきたので、ここに書いてみようと思う。

以下、ネタバレあり。

『進撃の巨人』のあらすじ

  今回、主に扱う内容はファイナルシーズンが中心になる。エレンたちはこれまで壁の中で生きてきて、壁の外には人類はいないと信じ込まされていた。しかし、壁を出て、海を越えたその先には人類が生きていて、その人類はエレンたちが住むパラディ島の民たちを悪魔の民族として憎んでいた。そのことから、エレンは壁外の人類を根絶やしにし、全ての都市を更地にする地ならしを発動することになるが、最終的にはエレンの仲間たちがそれを阻止することになる。

エレンと仲間たちの違い

エレンが目指した自由とは

  これまでの物語で、エレンの行動はすべて自由のために行われる。作中で、エレンは常に自由を求めている。壁の外の世界を夢見ている。では、エレンの目指した自由とは何だろうか。
  そもそも、日本語の自由という言葉にはふたつの意味がある。ひとつは「Freedom」、もうひとつは「Liberty」だ。前者は、仲間や友がいることなど、対等な立場の人間関係があることだ。一方、後者は奴隷ではないことが重要であり、自分のものを好きなようにできることである。
  エレンが求めていた自由は、壁の内側にいる頃から常に「Liberty」である。
  初めのうちは、エレンにとって、壁の中に生きていることに対する不自由から脱却することが重要だった。つまり、自分が住んでいる世界を好きなようにできないことが不自由であり、自分の世界を好きなようにすることが目的だった。これは、奴隷ではなく、自分のものを好きなようにできるという意味の「Liberty」を求めている。
  物語の後半で、壁の向こう側、つまり海の向こう側に自分たちの敵となる人類がいることを知ると、エレンは人類を駆逐しようとし始める。これもやはり、自分の生きる世界を好きなようにするために行うことであるから、エレンが求めていたものは「Liberty」だ。

エレンの仲間たちが目指したもの

  一方で、エレンの仲間たちが目指したものは「Freedom」だ。エレンの仲間であるアルミンたちは、人類を殺して享受する自由である「Liberty」を求めていない。彼らは対話や話し合いの力を信じている。だからこそ、アルミンたちはエレンを止めるために動く。作中で自由という言葉は使われていないが、彼らが求めているものは全人類の対等な人間関係であり、それはまさしく「Freedom」である。つまり、実はエレンもアルミンたちも、意味は違えど自由を求めていたということになる。
  ここで、エレンの印象的なセリフがある。「アルミン、お前の言った通り俺は自由の奴隷だ…」というセリフだ。作中で、誰よりも奴隷であることを毛嫌いしていたエレンが自分も奴隷だったという印象的なシーンだが、この「自由の奴隷」という言葉は鋭い。そもそも「Liberty」という言葉が奴隷ではないことを前提としているのに、それを求めすぎると、「Liberty」自身の奴隷になってしまうという矛盾を指摘している。その意味で「Liberty」という概念は不完全だ。
  しかし、「Freedom」は違う。こちらは、とれだけ求めようと矛盾は生じない。むしろ、求め続けることによって、人々はより良い世界を手にすることができる。だからこそ、作中でアルミンたちは勝利する。

進撃の巨人とハンナ・アレント

ハンナ・アレントについて

  ハンナ・アレントはドイツ出身であるアメリカの思想家だ。彼女は第二次世界大戦のナチスから逃れ、アメリカで教鞭をとった。彼女の『人間の条件』という本によると、人間がしていることは3つだ。それらは労働、仕事、活動だ。労働は、自らの生命を維持するためにすることであり、仕事は、創造によって自らの世界を創ること、活動は、人と人とがかかわり合う理性的な行動のことである。

進撃の巨人とハンナ・アレントの思想

  アレントは、活動こそが人間に唯一無二の理性的な行いだと述べた。これは、先に述べた「Freedom」に非常に近い。それは、どちらも人と人とのかかわり合いを下敷きにしているからだ。そして、アルミンたちは常に、活動をするこを目指していた。アルミンたちは、殺し合いではなく、話し合いによって未来を創ること、すなわち政治を理想としていた。ここにアレントと進撃の巨人の共通点がある。それは、人と人とが話し合いによって物事を決めることが理想としている点だ。
  つまり、アルミンたちは活動という理性的な行いによって、「Freedom」という対等な人間関係のある状態を目指していたと言える。

エレンは何をしていたのか

  では、アレントに則れば、アルミンたちと対立するエレンは何をしていたのだろうか。それは、労働だと考えられる。エレンは自らの生命を維持するために、敵を殺すという行動にでた。この点は、途中までのアルミンたちと同じだろう。しかし、エレンはその先の活動を目指していなかった。エレンは常に、自由の奴隷として労働をしていた。
  アレントによれば、労働だけをする人間は労働する動物であり、人間らしさはない。つまり、それは奴隷の状態だ。エレンは「Liberty」という概念に囚われ、奴隷となり、労働する動物となっていたのである。

進撃の巨人の面白さ

  ここからはまとめになるが、進撃の巨人の面白さについて、個人的な感想も述べたい。ここまでの話を振り返ると、進撃の巨人の後半部分は、「Liberty」と「Freedom」、労働と活動の対立の構図で貫かれている。しかし、それだけではないところが面白い。後半部分のエレンは常に二面性があった。仲間思いのエレンと自由の奴隷であるエレンだ。しかし、その二面はひとつの行動に行き着く。仲間を守りたいという気持ちと、地面を平らにしたいという気持ちの両方が重なり、作中での行動に至ったのだ。仲間思いのエレンは間違いなく「Freedom」を求めていた。つまり、エレン自身の中でも、2つの自由がせめぎあっていたのだろう。しかし、最終的には、活動と「Freedom」は仲間に託し、自分は労働と「Liberty」に走ることになる。エレンの魅力は、内面の2つの要素がせめぎ合いをしていたことだろう。そして、この主人公の心情の揺れ動きが進撃の巨人の見どころだ。

参考文献
・ハンナ・アレント『人間の条件』
・橋爪由紀『アーレントとグレーバーが是とする「自由 freedom」の力』
・デビッド・グレーバー『負債論』

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