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#5 “守りのブランディング” - チェルシーのブランドガイドラインからJリーグは何を盗めるか


Defense is the best form of attack - What J.League can steal from Chelsea FC's brand guideline


「攻撃は最大の防御なり」

これは誰もが一度は耳にしたことはある言葉だろう。
この言葉は、実際にはこの通りに言われているわけではないようだが孫子の兵法からきている言葉だと言われている。
サッカーにおいてもたまに聞く言葉でもあり、前日本代表のイビチャ・オシム監督も“攻撃は最大の防御で、つまり攻撃の中に守備もある”とも言っている。

ブランディングという仕事は響きがなんとなくカッコいいため、華やかなことをしているイメージを持たれることもあるが、現実は多くの仕事が直接的に日の目を浴びることはない。マーケティングにおけるプロモーションやキャンペーン、広告といった華やかで表舞台に外向きな (消費者と向き合う) 仕事とは違い、より内向きな(社内と向き合う)仕事がブランディングである。
でも、企業の過去や現在、未来と向き合い、自分と向き合い、創り出す一つひとつの言葉やビジュアルを考え抜くブランディングという仕事は、とてもクールだと思っている。

さて、前置きが若干長くなったが、そんなブランディングの中でも、基本的に一般の人たちや外部の目に触れられることはなく、ブランドの仕事に関わる人以外には知られることがほとんどないのが、「ブランドガイドライン (Brand guideline) 」という存在である。
ブランドガイドラインは、ビジュアルガイドライン (Visual guideline) やビジュアルアイデンティティガイドライン (Visual identity guideline) などといった呼ばれ方もする。


「防御は最大の攻撃なり」

一方で、この言葉はどうだろうか。おそらく聞いたことはないだろう。それもそのはずで、この言葉は自分が孫氏の言葉を借りて創った言葉である。

自分は、この表舞台には決して現れることはないが、ブランディングにおいて非常に重要なツールであるブランドガイドラインを簡潔に形容するのであれば、「防御は最大の攻撃なり」という言葉が当てはまると思っている。

サッカーにおいて強いチームづくりをするためには、守備が攻撃と同じレベルで重要な要素であるように、ブランディングにおいても、守備的なポジショニングであるブランドガイドラインという存在は強いブランドづくりをするためには一つの鍵となると考えている。
なぜなら、強いブランドづくりにおいて非常に重要なものの1つに「一貫性」という要素があるが、ブランドガイドラインはその一貫性の担保に大きく貢献してくれるものだからである。

前回の#4の記事ではユヴェントスのリブランディングの事例をもとに「あのリブランディングにおいて語られていない実はスゴイこと」について自分の考えを述べた。ユヴェントスのリブランディングが「攻め」のブランディングであるとするならば、今回のチェルシーの事例は「守り」のブランディングと位置づけられると考えている。


プレミアリーグ チェルシーFCのブランドガイドライン

普段生活をしていても目に触れることのないブランドガイドラインであるが、プロスポーツチームのガイドラインとなると更にお目にかかることは少ない。

個人的にプロスポーツチームのブランドガイドラインに興味があったため、ネットで探していると、少し古いものだがイングランド・プレミアリーグの世界的ビッククラブであるチェルシー (Chelsea FC) のブランドガイドラインを見つけることができた。正確には57ページにわたる"Brand & Identity Guidelines"という名称である。

ガイドラインの中身を見ていく前に、チェルシーがこの"Brand & Identity Guidelines"を制作したタイミングについて軽く触れておきたい。
前回の#4のnoteにも書いた内容でもあるが、企業が一般的にリブランディングを実施するタイミングは大きく以下のパターンがある。

・50周年や100周年といった「周年」のタイミング
・経営者などトップマネジメントが変わったタイミング
・業績不振などで変革が必要なタイミング
・不祥事などでブランドが毀損したタイミング
・事業変化や事業多角化などによりこれまでのブランドと現在のブランドが一致しなくなったタイミング(例:社名と事業内容が一致していない)
・買収や合併を実施するタイミング
← 今回追加

チェルシーがこのガイドラインを作ったのは、2005年である。チェルシーにとって2005年は何か特別な年なのか?

答えはYes。
かなり特別な年で、チェルシーの創設100周年である。この2005年の100周年のタイミングでチェルシーは20年近く使用していたロゴに替わる新たなロゴを創った。
また、このガイドラインのプロジェクト期間と推測される2004-2005年シーズンはチェルシーにとって歴史的なシーズンでもある。FCポルトで前シーズンにリーグ制覇とチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げたジョゼ・モウリーニョがチェルシーに就任したシーズンで、50年ぶりにプレミアリーグを独走で優勝した歴史的なシーズンである。


さて、以下がチェルシーの"Brand & Identity Guidelines"の内容である。


1.0 表紙&目次


まずは表紙と目次であるが、新たに創られたロゴに加えて、チェルシーの100周年を記念した特別なロゴも用意されていることが分かる。

そして、目次は大きく分けると、

1: Introduction - 導入
2: The Chelsea Football Club Brand - チェルシーFCブランド
3: Merchandising - マーチャンダイジング
4: Sponsorship - スポンサーシップ
5: Approval Process - 承認プロセス
6: Artwork & Design Library - イメージ&デザインライブラリー

の6章から成っている。
すべてを見ていくことはできないが、興味深いと感じた内容をいくつかピックアップして紹介していきたいと思う。


1.1 チェルシーFCのCEOからのメッセージ

チェルシーのCEOであるピーター・ケニオン氏のメッセージを見ると、チェルシーがロゴを替え、ガイドラインの作成に至った理由が書かれている。

“When we undertook the task of reviewing the clubs identity and its brand values it was clear to us all that the lack of reference to Chelsea FC's heritage was evident. It was always important therefore that history played a big part in any development we decided to do.The result is a set of brand values and a new club badge that everyone involved with the club should be proud of.”

(我々がクラブのアイデンティティとブランドの価値観を見直すというタスクに着手した時、それらがチェルシーFCの遺産や伝統と関連するものを欠いているということが我々全員には明らかであった。歴史というものが我々が行ってきたあらゆる発展において大きな役割を果たしていたことはどんな時にも重要であった。
その結果が、クラブと関わる全ての人が誇るべきクラブのブランド価値と新たなロゴ (を創るということ) である。)

ここからは個人的な推測に過ぎないが、ロシアの大富豪であるアブラモビッチ氏がチェルシーを買収したのが2003年である。チェルシーが買収以降にピッチ内外ともに大きく急激な変革があったことは想像できる。そのような大きな変化にあった時、企業や組織は一度原点に立ち返る、歴史を振り返るという行動に移る傾向にあるのではないだろうか。

本来の自分を見失わないための拠り所を欲する。また、クラブがNext levelへと進化する時に、自分たちが大切にしてきたものを守り続けるために価値観やDNAといったものを明確にしておく。それが100周年というタイミングと相まって、このブランドの価値観の定義と新たなロゴの制作に至ったのではないかと想像している。
※2003年当時の買収に関する記事:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/3036838.stm


1.2 ブランドバリューとブランドパーソナリティ

チェルシーFCは自分たちのBrand Values (ブランドの価値観) とBrand Personality (ブランドの個性) を以下のように定義している。

Brand Values (ブランドの価値観)
・Integrity
- 誠実
・Excellence - 卓越
・Style - スタイル
・Unity - 結束
・Leadership - リーダーシップ
・Pride - 誇り

Brand Personality (ブランドの個性)
・Dynamic
- 躍動的な
・Passionate - 情熱的な
・Admired - 称賛される、尊敬される
・Successful - 成功している
・Inclusive - あらゆるものを受け入れる
・Focused - 専心的な

それぞれの言葉の右側に書いている和訳は自分が置いたもので、あくまでも“参考”としてみてもらえたらと思う。なぜ参考かというと、Integrity, Admired, Successfulといった言葉は、日本語に訳しづらいからである。欧米人の思うIntegrityは、日本語でいう「高潔さ、誠実さ」でなかったりすることがある。

Brand ValuesとBrand Personalityの特徴を1つ挙げるとすると、Valuesは「名詞」、Personalityは「形容詞」で表現し、統一している。これは意図的にしているものと考えられる。

これらの価値観やパーソナリティを見ていると、サッカークラブやスポーツクラブのこのような要素の定義は難しいと感じる。価値観やパーソナリティを定義しようとすると、どうしても現在のチェルシーFC、さらに言うと、チェルシーFCのファーストチームのプレースタイルや監督のスタイルといった印象に引っ張られがちになってしまいそうである。

そうではない。
定義するのは「チーム」ではなく「クラブ」の価値観やパーソナリティである。つまり、監督や選手がすべて入れ替わったとしても変わることのないものでなければならない。


このような点から、やはり企業や組織の成り立ちや歴史というものを振り返り、インプットする必要がある。

JリーグやJクラブは何を盗めるか?

Jリーグのクラブを見ていると、シーズンごとにスローガンやチームのスタイルを定めているのはよく見る。ただ、これは「クラブ」ではなく「チーム」の話である。

また、「クラブ」として理念のようなものを掲げているJクラブも多くあると思うが、中身を見ると「地域密着」「地域貢献」といったものが多い印象を受け、そのクラブらしさが感じられるものは正直に言って、ないと思う。
そして、それらの内容がJリーグ(日本プロサッカーリーグ)が掲げる「Jリーグ百年構想」やJFA(日本サッカー協会)が掲げる「JFA 2005年宣言」を書き写したような内容になっているのではないだろうか。

創ることは手段であるため、それが目的化することは避けるべきだが、「チーム」ではなく、「クラブ」としてのオリジナリティ溢れるスタイルを考えてみてはどうだろうか。


2.1 バッジ(ロゴ)の使い方


このページでは、チェルシーのロゴに含まれている各要素をそれぞれ説明している。
例えば、ロゴ全体をBadge(バッジ)と呼び、サッカーボールやバラの要素をSymbolと定義している。

また、右側にはそれぞれの要素についての説明がされている。

このページにおいては、バッジの間違った使い方について説明している。いわゆるDos & Don'tsでいうDon'tsというものである。

各要素の色やサイズを変えたり、比率を変えたりしてはいけませんよ、という説明がされている。

ここでは「視認性」についての説明がされている。
チェルシーのバッジを背景のある写真などに加える場合は、適切な背景や位置を選ぶ必要がある、というのが主旨である。ここではDosとDon’tsの両方が例示されている。


2.3-4 カラーとフォント

これは、ブランドガイドラインの基本中の基本である、カラーやフォントの規定についてのページである。

ここでは、チェルシーのPrimary color(メインカラー)はブルー、ゴールド、レッドで、Secondary color(サブカラー)はグレーであると規定している。また、「CHELSEA BLUE」や「CHELSEA GOLD」といった名前まで規定されている。

Jリーグ・クラブは何を盗めるか?

JクラブにもJリーグ(日本プロサッカーリーグ)にももれなくバッジがある。そしていたるところでそのバッジが使用されている。

Jリーグと比較すると、Jクラブはフロント人材やその他のリソースも少なく、目の前の試合運営に日々かかりっきりになってしまっている現状は理解している。基本中の基本とはいえ、バッジやフォントの細かい部分まで規定することは難しいだろう。
おそらくクラブのウェブサイトの制作やポスター・チラシといった制作物は外部業者に委託しているものと想像している。

サードパーティ(他者)に委託するからこそ、お互いが共通認識を持て、「一貫性」が担保されるブランドガイドラインというものがJクラブのブランド価値向上に貢献すると考えている。


2.5 価値観に沿ったビジュアル

これは、チェルシーのBrand values(価値観)をどのようにReal(現実)に落とし込むのかというものである。定義した6つの価値観をビジュアルで表現するとしたら、どのようなビジュアルが適切であるのか、をここでは写真を用いて規定している。

ここはブランディングの醍醐味の1つと言える。サイエンスからアート、ストラテジーからクリエイティブ、左脳から右脳、机上から現実へと繋げるとてもおもしろい段階である。

クリエイティブチームと一緒になってがっつり議論して決めていくこの段階は個人的に好きな仕事であり、デザイナーや言葉のプロフェッショナルといったクリエイティブのプロ達のスゴさを肌で感じられる瞬間でもある。

Jリーグ・クラブは何を盗めるか?

世界的ビッククラブはここまでやっているという事実だけを知ってもらえたら、ここは十分だと思う。

#4でも取り上げたユヴェントスや自分の愛するアーセナルもSNSやウェブサイトを見ていると 、しっかりと彼らの価値観やスタイルをビジュアルまで落とし込めているように感じられる。


5.1 承認プロセス

これは、チェルシーのバッジやブランドバリューといったブランドアイデンティティを使用する際の承認プロセスについてのガイドである。ガバナンス的な側面でつまらないが、ブランドを守り、価値を上げていくためには重要な部分である。企業や組織が成長し、大きくなるにしたがってより重要性が増してくる。

“Approvals are granted when the identity has been correctly applied and the item submitted is consistent with the positioning of the Chelsea Football Club brand.
The Chelsea Football Club brand identity is used by hundreds of different authorised organisations around the world. As a result, specific approval processes have been developed for the different categories of users of the brand identity.”

(アイデンティティが正しく適用され、提出されたアイテムがチェルシーFCブランドのポジショニングと一貫している時に承認が与えられる。
チェルシーFCのブランドアイデンティティは、世界中で認可された数百の組織によって使用されている。結果、ブランドアイデンティティを使用する様々なカテゴリーのユーザーのために明確な承認プロセスが作られた。)


最後に  −見落としがちなもっと重要なこと−

ブランディングにおいてよく起こるネガティブなあるあるが、「一所懸命に何かモノを作ったら、それで満足して終わった気になってしまう」というものがある。
ブランドガイドラインに限らず、「創る(作る)以上に重要なことは、浸透させること」である。

どれだけ素晴らしく、美しいものができたとしても、それが実際に社内や関係者に浸透して使われないことには、まさに絵に描いた餅になってしまう。
これは、次の試合に向けて監督やコーチが完璧な戦術を考え出したとしても、それを実践する側の選手にまで浸透しないと試合に勝てないのと同じようなものである。

今回の記事では触れないが、これがブランディングにおけるインターナルエンゲージメント(社内浸透)である。社内浸透を形式的にしたり、疎かにするケースも多く見られると思うが、社内浸透はブランディングの肝の1つである。社内浸透は、ガイドラインの作成や他のブランド要素を創り出すことに比べて、遥かに時間と労力を要し、粘り強さが鍵となる取り組みである。

ブランドプロミスやガイドラインの制作はせいぜい半年〜1年といった時間軸だが、社内浸透は究極的には組織が存在する限りやり続ける必要がある。
「ブランディングには覚悟がいる」と前のnoteでも書いたのは、こういう理由からでもある。社内浸透をすることを考えずに近視眼的にブランディングを捉えてしまうと落とし穴に落ちてしまう。
幸いにもJリーグ、特にJクラブは規模や組織がまだ大きくないため、数千人から数万人の従業員を抱える大企業に比べて、社内浸透という側面では容易であると考えている。

バレーボールのVリーグに所属しているヴォレアス北海道のようにブランディングを軸にクラブ運営をしているとても面白いクラブも出てきてはいるが、まだまだ日本のスポーツ界にはブランディングが浸透していないと感じる。


自分は、ブランディングという領域を通じて日本サッカー界、延いては日本スポーツ界をよりクールで心躍るものにしたいと思っているため、少しでも今回の記事が参考になれば、それほど嬉しいことはない。


※トップ画像に川崎フロンターレの画像を使っているが、これはJリーグの王者であり、チェルシーと同じブルー系を基調としているクラブであるため選んでおり、それ以上の理由はない。

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