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障がい者グループホームで働く私が語る、カウンセリングの真実とは?!
こんにちは。こんばんは。kai2003です。
僕があの時に知っておけばよかったかもと思う事をシェアしたいと思います。そして今見返した僕が初心に戻れるように感じるままに書いています。
今日はカウンセリングついて思う事を書かせてください。最後にはあなたにとって「そうかもね。」とほっこりした内容になってると思います。
良かったら立ち寄っていただいて皆さんの明日の糧になって欲しいと思います。では。
障がい者GHの利用者さんの現状とは?!
今回は障がい者GHでのカウンセリングについてのお話をさせてください。障がい者GHにはいろんな特性を持った利用者さんがおられます。
精神、療育、身体、難病大きな括りはありますが、特性は似たり寄ったりで傾向は偏ってきます。特にこちらのホームでは女性専用なので顕著です。
他者とのすれ違いからくる人間関係での悩み。過去からのフラッシュバックでの記憶障害での苦しみ。
容姿や性格などの自己肯定感の不安定さからくる悩み。虐待やいじめなどから立ち直れない苦しみ。病気の性質を受け入れられない、気付いていない事のギャップの苦しなどそれぞれ抱えています。
そういった事が近くの他人に転換する事で表面化、問題として浮かび上がることが障がい者GHでは多いです。
親御さんからは『話をよく聞いてあげてくれますか?この子は寂しがり屋で聞いてあげれば問題は無いのです。』とよく言われます。
僕も含めて支援員はこう思います。障がい者GHはそういう所ではないですよ。実際に僕も家族さんにお話ししています。
『障がい者GHは利用者さんが将来ある場面で困らないようにするために今、支える所ですよ。』とお話しします。
なので今困っているからお話する場面もあります。しかし解決できる相談は別ですが内心からくる自分でしか解決できない話がしたいからとゆっくりと聞くことはないです。
なぜなら、後々いつでも聞ける人がそばにいるわけではないからです。またそういった事を利用者さんも自分と向き合って理解しないと苦しみはいつまでも続くからと僕は理解しています。
具体的に言うと突き放したように見えたり、あえて自分で考えてみようと言ったりして距離をとるようにします。
そうする事で僕たちは利用者さんが理解できる時間をゆっくりと待つ。その為に必要な支援をしています。もしいつでも聞いてもらわないと困るというなら僕たちは『カウンセリングの利用』を勧めています。
カウンセリングの本質って何だろう。当事者さんに伝わる会話とは?
カウンセリング自体は精神科病院、心療内科クリニックなどで紹介してもらえればと言います。
でもカウンセリングって単に話を聞いてくれるところではなく、当事者さんにとって気付きを与えてくれる場所と考えています。
単にどんな悩みでも話を聞いてくれてその解決に沿ったアドバイスを言ってくれるところではないです。そんなカウンセラーはいないと思います。
アドバイスは時として人を傷つける原因にもなります。そういった意味でもホームではなかなか話を聞いてあげられないという事にもなります。
ではカウンセリングの本質とは何でしょうか?
僕の考えるカウンセリングの本質とは3つあります。
① クライエント(患者)だけをみる。クライエント個人に焦点を当てる。
② クライエントの尊厳は守りつつ他者を変える事は出来ない、変わるのは自分だと伝えていく。
③ クライエントに共感はしても自らの意思を挟まずに受け入れてクライエントの言っている言葉を移す鏡になって自分自身の力で解決できるように促していく。
これが僕の考える基礎的な本質だと思っています。
なので、もちろん信頼関係を築くために時間もかかるはずですし、聞いてもらってうれしかったとはいえない回があって当たり前だと思います。
クライエント中心の視点が当事者に伝わっていない現実とは?!
ホームに帰ってきた当事者さんが聞いてくれたけどそれだけで終わったとか、なんかよくわからなかったといって来る時があります。
そういったことがあっても仕方がないと思いますが、当事者とカウンセラーで最終目的が伝わっていないのかわかりませんが、『今日はカウンセリングやめとく。』『言っても毎回同じだからやめとく。』という事がたまにあります。
多分当事者さんは今腹が立っている事を自分の味方になって一緒に怒って欲しいというのがカウンセラーの仕事と思っているかもしれません。
それはある意味正解である意味間違いだと考えています。当事者さんは単純にカウンセラーに褒めてほしい、認めてほしい、間違ってないよと言って頭をなでてほしいと思っているかもしれません。
でもそれは自分自身の力で解決ではなくカウンセラーの力に頼って一時的に気分を安定させてもらっているという感じになっているだけと思います。それでは解決には至りません。
やはり解決には自身の精神的成長が不可欠と思います。がそこには至らず餌を待つ犬のように『私の行って欲しい事を言ってくれなかった。だから辞める!』という利用者さんがいる事がカウンセリングの失敗と感じてしまいます。
カウンセラーの葛藤と自己成長が必須では?!
僕も偉そうなことは言える立場ではないですが、時には当事者さんが言った言葉が他人にどのように伝わっているかを理解してもらわないといけないですし、それは正しい行いか、良く無い行いかを当事者さんに尋ねなければならない場面もあるでしょう。
当事者さんにとって自分の思い違いの薄皮を一枚一枚はがしていく行為が必要になるかもしれません。それはつらいと言ってもカウンセラーが自己一致して伝えなければならないですし、カウンセラーもそれが出来る心の状態で当事者さんと向き合ってもらわなければならないと思います。
実は僕もGHの利用者さんに使えるようにと思い立ち、メンタル心理カウンセリングの資格を取りましたが、常に自己一致の精神状況に至ることが出来ずその上澄みだけで利用者さんと対応しています。
本当にカウンセリングを行おうとしてもカウンセラーが精神的に自己一致の精神状態にまで追い込んでいくのは自分には難しいのではないかと本当に思います。
さらには無条件で肯定的に受け止め、共感して理解に努め、自分自身にある問題に気付かせてあげる。カウンセリングって本当に難しい職業だと思います。
一般社会の中で例えば"うつ病"など仕事場でのストレスが原因で発症したのならこちらの言葉も理解していただけるかもですが、GHの利用者さんは違う部分もあると思います。
例えば療育と精神さらに身体の障がいを持っている方もおられます。本質的には症状固定?生まれ持った特性?性格と言った方がいいかもです。
また小さい時から身体障がいの影響でいじめられた経験があり後天的に精神障害を発症していれば極度の被害者意識から病的被害妄想を患っていることも考えられます。
その場合のカウンセリングの対応も同じとはいかないと思いますし、疾患名でのカウンセリングの対応もあると思います。
でも本質は自らの力で問題解決が出来るようにさまざまな技法を駆使してクライエントに向き合うという事だと思います。
なんちゃってカウンセラーは足をもって引きずり落そうとしている?!
支援者にもその上澄みを経験または、実践したくて支援者になる方もいます。そういった方は得てして『こんなはずじゃなかった、私はこんなにしているのに!』と言って勘違いして辞めていきます。
でも思い違いをしているカウンセラーまたは支援者又は関係機関、行政にもいてると思います。なんでもして挙げるのは決して利用者の為にならず、下手をすると利用者の足を引っ張るだけになってしまう事になります。
お菓子をあげたのに!駅まで送ってあげたのに!特別〇〇してあげたのに!というのは利用者さんには全く伝わりません。納得するのは利用者さんを恐れている等の本人だと思います。
カウンセラーさんもしっかりと当事者さんに伝えるには対応を変えず、困っているクライエントがずっと困らないように気になる部分はしっかり伝える事ではないでしょうか?
皆さんにはどのように感じますか?
コメントいただけると嬉しいです。
最後まで見ていただいてありがとうございました。
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