見出し画像

思考の整理学(外山滋比古)

1 タイトル
思考の整理学(外山滋比古)

2 選んだ理由
10年以上前に読んでめちゃくちゃ感動して、もっと早く読んでおけばよかった、と思った割に中身を忘れていたので、備忘録のために再読。

3 簡単な感想、印象
  初めて読んだのは、大人になって就職して結婚して子供も小さいころ。なんでめちゃくちゃ感動したのか、読み進めていくうちに思い出しました。
 大学時代、自分の思いをうまく研究にできなかった苦い思い出があり、その時に読んでいれば、と後悔させられるような、研究の進め方が書いてあったのです。
 どのように研究テーマを決めて、素材を集めて、それを寝かせて、ある時閃いて、論文になって、というのが一連のプロセスですが…といっても、自分の思いだけで先人の理論をないがしろにしていた自分はろくでもない学生だったので、果たしてあのころ読んでもしっかりそれを活かすことができたかははなはだ疑問ではありますが。
 今や研究や論文とは縁遠い世界にいますが、何かの課題についていろいろ思考をめぐらす、ということはどこにでもついて回るので、そういったときには、役に立つと思われます。
 歴史を感じるのは、この本の初版は1983年。ギリギリ「コンピューター」が登場しています。

4 印象に残ったフレーズ
P11 学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などが混じっていては迷惑する。危険だ。

P13 学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかしていない。学校教育が整備されてきたということは、ますますグライダー人間を増やす結果になった。

P15 この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心がければよいかを考えたい。グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力の持ち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事を奪われる。

P30 前にも触れたが、卒業論文を書く学生が相談に来る。というより、何とかしてほしい、とすがってくるのである。何を書くも自由、となっているのに、何を書いたらいいのか、わからない。何を書けばいいのか教えてほしい、と言ってくる。

P36 (イギリス19世紀の小説家ウォルター・スコットの言葉に)「いや、くよくよすることはないさ。明日の朝、7時には解決しているよ」
 いまここで議論するより、ひと晩寝て、目をさましてみれば、自然に、おちつくところへおちついている、ということを経験で知っていたからであろう。

P43 論文を書こうとしている学生にいうことにしている。「テーマはひとつでは多すぎる。少なくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」
 きいた方では、なぜ、ひとつでは「多すぎる」のかぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。
 ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力む。頭の動きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代わりがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。一番伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。「ひとつだけでは、多すぎる」のである。

P75 思考、知識についても、このメタ化の過程が認められる。もっとも具体的、即物的な思考、知識は第一次的である。その同種を集め、整理し、相互に関連付けると、第二次的な思考、知識が生まれる。これをさらに同種のものの間で昇華させると、第三次的情報ができるようになる。

P98 何かを思いついたら、その場で、すぐ書き留めておく。そのときさほどではないと思われることでも、あとあと、どんなにすばらしくなるか知れない。

P134 もうすこし想を練らなくては、書き出すことはできない~あせっている頭からいい考えが出てくるわけがない。
 そういうときには、「とにかく書いてごらんなさい」と助言をすることにしている。

P150 考えごとをしていて、うまく行かないときに、くよくよしているのがいちばんよくない。だんだん自信を失って行く。~ちょっと考えると、籠城している人の方がいい論文を書きそうであるが、実際は人とよく会っている人の方がすぐれたものを書くようだ。

P170 学問に新しい風を入れようというのが、インターディシプリナリー(学際研究)である。~インターディシプナリーの研究はいまのところかならずしも成功しているとはいえないが、ひとつには、専門的インプリーディングの思考からなお抜けきれないためであるかもしれない。

P175 三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヵ条である。

P213 これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行ってきた。コンピューターがなかったからこそ、コンピューター的人間が社会で有用であった。記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのをおかしいという人はまれであった。コンピューターの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集