「わからないもの」の時間。【渾身の短編・3710文字】
僕の中学校には、一風変わった授業がある。
「わからないもの」の時間だ。
道徳の時間を使って行われるそれは、特徴として先生がモノを教えない。
先生も本当にわからないものを生徒と一緒に考える。というのがコンセプトとしてあるらしい。
ルールは大きく分けて3つ。
・この授業に参加するかどうかは生徒が選べる。興味がなかったら自習しててもいい。推奨はされてないけど寝るのにも寛容だ。興味が出たら参加する形式。
・その時に話す議題を先生は用意しない。生徒が本気でこれがわからないと思った事を匿名で入れる目安箱がクラスに設置されていて、その中からランダムに選ばれる。多感な思春期の人間が考える議題は大体壮大になるが。
・そして、その時々で話し合った結論が「結局わからなかったね」でもいい。あの子にはわかったけど、私にはわからなかったでもいい。つまり、無理にわかろうとしない事。
この授業の凄いところは、思わぬ答えに出会える事にある。クラスの人々の意識を塗り替えて、それまでの評価を一変させる人間が現れたりもする。
例えば、同級生の真中 充(マナカ ミツル)くん。真中くんはそれまでクラスでは目立たないひっそりした人物で、「あぁ、いたんだ」的な評価を受けている人間だった。
そんな日々を過ごしていた所に、「わからないもの」の時間の中である議題が選ばれた。
「永遠はあるか?」だ。
僕達がウンウン唸っている中で、普段主張しない真中くんは力強く「ある」と断言した。
「別れの中にある」と。
シン…と静まり返った教室で、「死んでしまったものや滅びてしまった生き物には、もう2度と会えない」と顔を赤くしながら必死に主張する彼の姿に僕達は胸を打たれた。そうかも知れないと思わせる凄みがあった。彼の大切な犬が亡くなったばかりだったと知ったのは、だいぶ後になってからだった。
あの時、真中くんは主張せずにはいられなかったのだ。その気持ちを。その思いを。
そして確かに僕達にそれは届いた。
僕も含めたクラスの人間は、あれ以来真中くんに一目置くようになった。彼も楽しそうに学校生活を満喫している。
さて。
ここからは僕の話になる。
僕はここに目をつけた。この「わからないもの」の時間で、みんなを唸らせるような答えを示せれば、一目置かれる存在になる事ができる。これはチャンスだ。
自意識が暴走している事は自覚している。だがそれでも男にはやらねばならぬ時があるのだ。
僕だって浅間 千映(アサマ チエ)さんとしゃべりたい。
千映さんは僕と同じクラスの女の子で、サッパリした性格なので竹を割ったような大声で笑う。だが僕はあの笑い声が好きだった。 恥じらいを捨てて全力で変顔するような豪快さに憧れた。表情が豊かで、そこが魅力的で可愛いと思った。
真中くんが一目置かれるようになった時、千映さんが「やるじゃん!」と真中くんに声をかけていたのだ。僕はもうあれが爆裂に羨ましかった。それを見た日は部活が終わった後でさえ猛烈に叫びながら帰宅した。そして呻き声を上げ続けた布団の中で、同じくこの計画が産声を上げた。
え?千映さんと呼べているか?そんなわけないじゃないか。そんな気軽に呼べる関係性ならこんな企みはしない。その距離感であることは察して欲しい。
……いいじゃないか心の中で呼ぶくらい。許してくれ!心の中で呼ぶのは許してくれ!!
千映さんは「わからないもの」の時間が好きなようで毎回必ず話し合いに参加していた。僕もあの時間が好きでずっと参加していたからわかる。普段の豪快さとはまた別で、千映さんは考え込むと憂いに満ちた表情をするのだ。そのギャップの素晴らしさたるや!!その魅力は原稿用紙一枚では到底語り尽くせない程だ。
……いいじゃないか授業中にチラッと見るくらい。許してくれ!授業中だけは許してくれ!!
計画の話に移る。
僕の脳みそのすべてを動員して作り出した渾身の質問がある。これはぼんやり考えていたことを究極に考えつくして産み出した。
「尊敬する人の果てには何がある?」だ。
僕の尊敬する作家さんのインタビューを見ていると、当然その方にも尊敬する人はいる。そして、尊敬する人の尊敬する人にもまた、当然尊敬する人はいるのだ。
その数珠繋ぎの果てに何があるか。
答えも勿論用意している。
「わからないもの」の時間であるのに、もう答えを用意してある質問を匿名で投函する。これが計画であり、ずるい事は承知だ。だが構わない。
そして。そしてついに今日。朝のホームルームで本日やる「わからないもの」の時間の議題が発表された時僕は内心で爆発的な歓声を上げた。ついに選ばれた。
僕の質問が。
一目置かれる為に僕は考えに考えた。そして辿り着いた。この答えには自信がある。
すべてはこの日の為に。
◎
昼休みまでの間に思い出したように話される僕の質問への話題に、絶妙なくすぐったさと高揚感を覚えながらその時は訪れた。
「わからないもの」の時間。
先生が議題を読み上げた後、尊敬の数珠繋ぎの事に軽く触れ、面白いなと言ってくれた事が嬉しかった。
あとはクラスの話し合いになる。
果てなんかないよ、という意見もあれば、結局最初の人類に辿り着くんじゃないかという話も出た。
僕は自分の答えを早く言いたくなる気持ちを必死に抑え込み、場がある程度煮詰まるのを待った。
いきなり答えを言って、不自然になる事だけは避けなければならない。質問者と解答者が同じであることは隠さなければ計画が台無しになる。
待って。待って。もういいか?いや、まだだ。
もうちょっと。
そして。
今だ!というタイミングで僕はごく自然を装いポツリと呟くように発言した。
「もしかしたら…神様になるんじゃないかなぁ」
そう。答えは「神」だ。尊敬する人の果てには必ず神がいる。世界を巡る尊敬のリレーの果てには、どこかで必ず宗教に結び付く。結果辿り着くのは神である。
僕はこの根拠を、自然を装いながらも必死にみんなに説明した。家で何度も練習したが、やはり練習と本番は違う。身体中から汗は吹き出して、唇は乾いた。でもなんとか伝えられたと思う。
僕の渾身の答えはどうだ!?
「神様…」「なるほど神か…」何人かが呟きながら納得するような表情を浮かべる。よし!いいぞ!!届け!届け!!この勢いのまま、千映さんにも届け!!!
そしてその千映さんが言った。
「え~?神様~?」
……あれ?
「いや~わかるんだけどさ。なんかやっぱちょっとヤだよね」
「結局神かよ~みたいな感じしない?」
千映さんの言葉で、流れが完全に変わったのがわかった。ヒリヒリと肌に感じる。
「確かにちょっとやだな」「もうちょっと考えよう」
そんな言葉達が遥か遠くから聞こえる。
おかしい。
こんなはずでは。
「深見?」
フカミ?深見って誰だ?
…あぁ、僕の事か。
説明し渾身の答えを放った後に計画が崩れ去り、呆然と立ち尽くしていた僕を心配するように千映さんが問いかけてくれた。
僕の名前を。
…え!?千映さんが僕の名前を!?
急激に世界に音が戻って来た。
呆然としている場合ではない。
男、深見 一(フカミ ハジメ)。ここが一世一代の正念場である。
「もしさ、神の上にさらに何かあったら面白そうじゃない?」
神様が尊敬するもの。と千映さんが続ける。
すごい、と思った。神様が尊敬するもの。それは確かに面白そうだ。みんなも同じ気持ちなのがわかる。場が明らかに高揚した。普段話し合いに参加せずに自習をしている子達の中にも、面白そうだと参戦する人が現れた。
なんだろう。神様が尊敬するもの。
「みんなでさ、神を越えようよ!!」
千映さんも自分で言って自分でテンションが上がっているのがわかる。
「そんな事初めて言われた」
僕は思わず笑いながらポツリと言った。
「私も初めて言ったわ」
千映さんも笑いながら答えた。
その素敵な笑顔を見て、あぁやっぱり自分はこの子の事が好きだなぁとしみじみ思った。幸せな確認だった。もしもすべてが計画通りになっていたとしたら、きっと出会えなかった笑顔と会話。
ふと考える。
全知全能の神様は、ひとりきりなんだろうか。
ひとりで、すべて知っているという状態はきっと。
すべてがわかるという状態はきっと。
きっと。
「すごくつまらないだろうなぁ」
僕は、呟きながらなにかを閃きかけていた。
それは、もう、さぞやつまらないだろう。
すべてを知っているという事は、何一つ意外な事がないのだ。きっと羨ましく思うんじゃないだろうか。
知らない事がある、という事を。
わからない事がある、という事を。
共感できる相手がいる、という事を。
「わからないものだよ!!」
僕は叫んでいた。
「え?」みんなが訝しげに聞き返す。
「神様が尊敬するもの!!」
「わからないもの、だ!!」
意外性と言い換えてもいいかもしれない。きっと全知全能の神様は、思いがけない事を欲しているんじゃないか?尊敬の対象と言えるほどに。
僕は一生懸命この事を説明した。
あくまで僕の考えだ。みんなが共感してくれるかはわからない。でも、そのわからなさが今は嬉しかった。
嬉しいと思えた意外さも嬉しかった。
こうして話す相手がいる事が。
思いがけない事に出会える事が。
本当に嬉しいと思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?