申命記32〜34章
今日はお休みを取って母と久しぶりに2人で、横浜にお出かけ。
どうか良い時間となりますように。
母がたくさん笑ってくれますように。良い気分で帰れますように。
お天気良くて神様に感謝。
朝短い時間でかぼちゃの煮物と炒め物作れたことに感謝。
ごみ出し間に合ったことに感謝。
夫の疲れがとれて2人で笑い合えますように。
🌼🌼🌼
今日は申命記最後の箇所。
モーセが死の間際に神からのみことばをイスラエルの民に告げ、後継者ヨシュアへ引き継ぐ場面。
神様のきよさ、性質、恵みと祝福、そしてイスラエルの民が冒した愚かさを歌にして民に子どもたちに聞かせ続けるようにする。
モーセは律法を忠実にまもるよう、このことばはあなたたちのいのちだという。
そして、主はモーセにネボ山に登るよう命じる。
そこから約束の地カナンを見下ろせる。モーセはたった一度のあやまちのため、この地に入ることができない。イスラエルの民の不義による憤りから、神の岩から水を出す不思議を信じきれず、杖を使って自分の威厳のパフォーマンスとしたから。
次にモーセは民に最後の祝福のことばを語る。
12部族それぞれにこれから神のどのような祝福があるかを預言する。
モーセはネボ山で120歳の生涯を終える。
民は30日喪に服し、ヨシュアがリーダーを引き継いでいく。
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神様について
神様のご性質は変わらない。岩に例えられるように、人間がそっぽを向こうと、求めようとどちらにせよ変わらずその完全なきよさで存在される。
偶像礼拝、律法を守らないものはのろわれる。
けれども人間は完全に守れないことが明らかとなり、
新約において愛すべきイエス様を地上に送り、その十字架の贖いによって、律法ではなく信仰により、神様の子どもとなることができるようになった。
人間について
どれだけ失敗を重ねても何度も同じ過ち、偶像礼拝に引っ張られる。完全に信じてすべてをゆだねることがなかなかできない。でも神様の愛によって完全に滅びることはない。その中でもカレブやヨシュアのように神様のみこころにかなう良きものも存在する。一時的な楽しみ、欲に弱い。
印象に残ったこと
歌の中で、神様のことを、鷲が巣をゆすりひなを落とし、その下を舞い、羽を広げて救うよう
というところ。神様は人間を試みることがある。ただ優しく包み込むだけではない。試練を与え、もがきもうだめだというときにその御腕で支えてくれる。
わたしのほかに神はいない
このことばの力強さと大きな喜びの真実に圧倒される。
適用できること‥
ただうわべだけの祈りとならないように
本当に神様を必要とし、高ぶらず、へりくだり自分の罪を認めること。
言い訳をせず素直に生きる。