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深夜に冷凍ポテトを揚げる!~わたしの至福の時間~

こんな毎日がいつまで続くだろう…貯金が尽きるまで?それとも内臓がおかしくなるまで?
仕事でストレスを感じては、ジャンクフードや甘いものを食べすぎてしまう。でももうそういう自分を責めたりはしない。そう、仕方ないし、こういう生き方しか今のところできないのは自分自身がよくわかっている。
自己嫌悪の時期はとうの昔に終わってしまったし、それで少しでも気持ちが落ち着くならまだ良い方で、それであれば、なんとか明日も仕事へ行ける。

フルタイムの仕事をやめて、業務委託の在宅ワークに仕事を切り替えた。
そうすれば、収入は下がるけれど、会社員をしている頃より、働く時間は自由に決められるし、睡眠時間も長く取れる。
なにより、崩壊した人格と本来の私を取り戻さなければと思った。

そもそも本来の私、というものをこの人生の中で感じたことがあったかどうか、振り返ってみても思い出せない。

小さい頃から、怒られないように、人から嫌われないように、そう気を付けながら生きてきた。なぜそうなったかというとはっきりとした原因は今でもわからないが、少なくともその当時は“怒られること”=“自分を全否定される恐怖体験”という極端な認識を持っていたように思う。
前世はブラック企業のサラリーマンか何かだったのだろうか、“役立たず”、“給料泥棒”などと理不尽な扱いを受けるような存在にはなるまいと生まれる前から遺伝子に組み込まれていたんじゃないだろうか(笑)
なんとなくだが、自分自身の思考であって、そうでないような、誰かにそう仕向けられているような感覚で、いつもトラブルを避けるように生きていたように思う。前世の意思が反映されているとしたら、「今度の人生は小さい頃から完璧に、生まれてきてよかったと思える人生に」なんてところだろうか。ドラマなんかでよく、大人の思考をもったまま、赤ん坊から人生をやり直す、なんてシナリオの物語があるけれど、なんとなくそれに似ているような気がしている。私の場合は普通の女の子の思考と大人の思考が共存していて、無邪気な女の子の方が出番が少なかったように思う。

小学生に入ってからは筆箱に入れたメモ帳に小さい字でやらなければならないことや明日の授業で必要なものをびっしりと書いて、忘れ物や宿題をやり忘れて怒られることが無いように努めた。それでも子供だから忘れ物はしてしまうし、解けない問題だってたくさんある。(単純に算数は苦手だった)図工の時間に絵具セットを忘れたときなんて、ほんとに地獄だった。
確かその時は、学校の備品を借りたんだったか、たぶん授業自体はどうにかなったような気がするけど、学校に着いて、忘れたことに気づいて先生に泣きながら伝えたときのことはよく覚えている。そしたら先生は「そんなに泣かなくても大丈夫」と言ってくれたけど。
じゃあ、そもそも「絶対に忘れないでね」とか言わないでほしい。私は絶対に忘れてはいけないものを忘れてしまった!とひどく落ち込んだし、なんて自分はダメな人間なんだろう、と自己嫌悪したのに。でもほかのクラスメイトたちはきちんと持ってきていて、それができない私はやっぱりみんなとは地頭が違って、メモしたってなにしたって駄目な人間なんだな、と感じていた。今思えば、ほかの子はお母さんかお父さんが明日の持ち物をしっかりとチェックして玄関に置いておいてくれたり、それか忘れても学校まで届けに来てくれていたりしたかもしれないのに。(うちは共働きだから、届けてくれる選択肢はないし、学校から家が遠いから忘れた時点で取りに帰る選択肢もない)
30代になった今でも、なぜ私がこんなに自己肯定感の低い人間に育ったのかはわからない。父も母もいて、弟もいて、犬も飼っていて、普通にみれば幸せな幼少期だったと思う。こういうこと言うと感じ悪い奴かもしれないが、ありがたいことにお金にも困ることはなく暮らせていた。でもやっぱり、根本的に変な人だから、同年代の友達といるよりも、年下の近所の友達とか、大人と一緒の方が居心地がよかった。でも小学校までは自分が他と比べて変わっていることを自覚していなかったから、自分の個性を持ったまま過ごせていた気がするけど、中学校になったら、このままじゃ仲間に入れないかもしれないってなんとなく気づいた。変わってる子はいじめられるし、何より、勉強ができないと恥ずかしいし、部活は嫌でもみんな入るものだと思っていた。
もともと人より疲れやすく、ストレスも感じやすい、つい、人にどう思われているか気にしてしまって、帰宅後もその日も反省ばかり。気づいたら考えすぎて2時間経っていたこともある。
そのおかげなのか小さい頃からよく頭痛に悩まされていて、大人になってからは市販薬が効かなくなり、受診した病院で片頭痛と診断された。病院でもらう薬はよく聞いたが、頭痛の数が減ることはなかった。

私の場合、何か問題が起こったときに「考えても仕方ないか!」という思考に至るまでにものすごく時間がかかる。会社員をしていた時は辞めたい、やめたい、と毎日考えるけど、生きていくには働くしかない。それにその時の年収を手放したくない気持ちもあった。それなりに仕事を覚えてきて誰にも文句を言われなくなっていたから、そういう意味では居心地がよかったんだと思う。
でも、その時は自分自身がおかしくなっていたことに気づいていなかった。毎日ものすごくイライラしていて、同僚に仕事を押し付けたり、嫌味を言ったり。私はこんなに忙しく働いていて、周りの部署や上司からのストレスを受けて働いているのに、なんで同じようにあなたも頑張れないの?って周りの人に対して本気で思っていた。自分が辛く感じていることを人にも同じように求めてしまっていた。それが悪いことだとは感じていたけど、私だって頑張っているし、精いっぱいなんだ、と心の中で言い訳して、それでも仕事がこなせることが偉いと思っていた。こんな私のことを周りの人が見て見ぬふりしていたのは、私のようになりたくなかったからだと思うし、辞められたら困るからだったんだと思う。

小さい頃からできるだけ争いごとを避けたかった私は人にやさしくできない人に対して、なんでこの人はこんなに嫌な人態度しかとれないんだろう…と思っていた。だから自分だけは絶対にこうはならないぞ!と思っていたはずなのに、自分のストレスがキャパを超えてからは、絶対になりたくないと思っていた「ただの嫌な人」でしかなかった。
その時の自分を肯定するわけじゃないけど、俗にいう「嫌なひと」ってわざとじゃなくて自分を見失っている場合があるんだと感じた。わかっていても自分をコントロールできない。その人だって余裕がなくて、自覚はなくとも助けを求めていることがある。
働くことっていつからそんなにつらいことになってしまったんだろう…。
どうしたらみんなが楽しく働けるかなんていう大きなテーマにはまだ全然答えが出せないけど、でも自分の経験からわかったこともある。
とにかく自分が頑張りすぎないこと、無理をしないこと。そうすれば私の感情に振り回される人が確実に減ること。キャパが少ないなりにも、少しだけできた余裕で周りの人の手助けが一瞬でもできるかもしれないこと。
まだまだ試行錯誤中だけど、自分を大切にして、どうやったらハッピーでいられるかを考えることが結果周りのひとにも良い影響があるかもしれないと思って行動していきたいと思う。

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