こんなふうに歳をとりたい─北欧スウェーデンで思ったこと
スウェーデンの高齢者たちと話していたとき、率直にそう思った。
老後と聞くと、日本ではどこかネガティブなイメージがつきまとう。
「年を取るのが怖い、もう死んでもいい」
「迷惑をかけたくない」
そんな声を、これまで何度も聞いてきた。
高齢者のリハビリをしていると、
特に病院や施設などの閉鎖された空間で「誰かのお世話になっている」彼らと話していると、
こういった本音に触れることは日常茶飯事になっていた。
しかし、スウェーデンで出会った高齢者たちはまるで違った。
そう語る彼らは、堂々としていたし、なによりかっこよかった。
まさに、そんな雰囲気である。
スウェーデン現地で感じた、生き方の違い
スウェーデンのPROという高齢者団体が行なっているwalk and talkというイベントに参加したときのこと。
そこで出会った60〜90代の高齢者たちは、退職後から趣味のグループに参加したり、旅行を楽しんだり、毎日をアクティブに過ごしているとのことだ。
その夜、視察のコーディネートをしてくれたダールマン容子さんと一緒にお酒を飲みながら、人生について色々話したときのこと。
「日本だと、年を取るって“できなくなることが増える”ってイメージが強いけど、スウェーデンでは逆に“できることが増える”って捉えられてる気がしますね。」
そう話すと、ダールマンさんは「確かに!」と頷きながら、現地のことを色々と教えてくれた。
「スウェーデンでは、部活っていうものが学校にはなくて。やりたいことがあれば自分でクラブを探して入る、そーゆーところもちがうかも。」
確かに、日本ではあらかじめ整備された仕組みの中で動くことが当たり前に求められる。
でも、スウェーデンでは「自分で決める」「自分で動く」ことが基本になる。
また、幼い頃からグループワークが主流で、新しいコミュニティに参加することに抵抗が全然ないとのこと。
こういう子供の頃から当たり前の価値観が、そのまま老後にもつながっているのかもしれない。
「だから高齢になっても『どう生きたいか』っていう発想が自然にできるのかもねー。」
「老後も関係なく、自分の人生は自分で決める、みたいなところ、あるよね。」
彼女の言葉を聞いて、私はなんとなく腑に落ちた。
スウェーデンの高齢者が「年をとることが誇り」と語ったのは、これまで主導権を握って生きてきた人生経験を尊く感じているからなのだと感じた。
そして何より「そんな自分がこれから、どう生きるか」これからの人生に期待でワクワクしている、そんな前向きなニュアンスが込められていたのだろうと思う。
自分は、どこで、どう生きていくか。
日本は、家族や周囲の人がサポートする文化が強いからこそ「誰かが助けてくれる」という前提があるように感じる。
しかし、それは裏を返せば「誰かに頼らないと生きられない老後」になるリスクもある。
一方、スウェーデンは「自分の人生は自分で決める」という考えが、子どもの頃から根付いている。
だからこそ、老後も自然と「どう生きるかは自分で決めるもの」になっている。
そうなると、日本で「老後=ネガティブ」と思われがちなのは、
に偏った考えがあるからなのかもしれないと気づいた。
この違いに気づいたとき、漠然と
と思ってしまった。(ひとまず、楽しそう。)
いくつになっても、自分のことは自分で決めるという生き方に魅力を感じるし、そうでありたいと思う。
もちろん、私は日本人だし、日本の文化が好きだ。
年長者を敬い、家族と支え合いながら生きることを良しとする価値観にも、やっぱり大切なものがあると思っている。
これも、どっちが良い、悪いという問題ではない。
結局は「自分がどう生きていきたいか」という話である。
「知っていれば」が、その先の人生を左右する
日本の介護現場では、介護保険や民間のサービスなど、知っていれば選択肢が広がるような素敵なサービスがたくさんある。
国民の5人に1人が後期高齢者となる2025年問題の真っ只中である現在、これに対応しようと、続々と民間企業が新しいサービスを出している。
しかし、これらは「自分から調べないと誰も教えてくれない」ことが多い。
必要な情報が届くべき相手に届いていないのが現状である。
それどころか、介護保険でさえも、サービスを受ける当事者(原則)が申請をしないと利用できないしくみである。
日本では、スウェーデンのように国が医療や福祉サービスを一元的に管理する仕組みは整っていないのだ。
でも、それでも、できることはたくさんある。
これこそが、その後の人生を左右することもある。そこに気づいておくことが第一歩になる。
自分の人生の主導権を持つ、ということ
スウェーデンの高齢者たちのように
「人生の主導権を持つ」という考え方を持ちつつ
日本での暮らしの中で
「自分がどう老いていきたいか」を自分で選ぶ。
今回の視察を終えて、そういう生き方をしたいな、と改めて思った。
どっちになるかは社会の仕組みだけでなく、自分の人生についてどんな価値観で、どう生きていくか次第なのかもしれない。