私が【嫌なヤツ】になりそうなとき、救ってくれる人。
明日は敬老の日。
・・・とかは特に関係なく、月1くらいでばーちゃんに会いに行っている。
別に、孝行がしたいとか大層な理由ではなく(しなさい)、素直に会いたくなるのである。一体なぜか、それは、、、
なのである。
どういうことか、言語化してみよう。
不意に現れる、自分の中の【嫌なヤツ】たち
みなさんの周りにも、たくさんいるであろう。
全部が全部ではないけれど、
・ちょっとしたときの返しが嫌な感じだったり
・気分で対応が雑だったり
・損得で人と関わったり
私はこういう、人のちょっとした嫌なとこに敏感になってしまう。
そして、よくも悪くも、私は周りに影響されやすく
と、周りに合わせて対応してしまうことがある。
(これが本当に自分の嫌なところ)
本当は、もっと相手を大切にしなきゃと思っているのに。
これがわたしの中の小さな【嫌なヤツ】登場の瞬間なのである。
嫌なヤツが勃発するとき
日々忙しく自分に余裕がないと、この小さな【嫌なヤツ】が勃発する。
特に、
自分に理不尽なことが起きた時
電車の遅延やバスが遅れた時
誰かのミスで自分が大変な思いをした時
など、自分がコントロールできない不運に見舞われたときに多い気がする。
余裕がある時であれば、相手に感謝をしつつやり過ごせることも、自分に余裕がないとイライラしてしまったりする。
こういう状況が続くと、私はばーちゃんに会いたくなるのだ。
ばーちゃんに会うと気づくこと
ちょっと疲れちゃった時、私はフラッとばーちゃんに会いに行くのだけれど。
いつ、何時でも、笑顔で出迎えてくれるのがばーちゃん。
と、優しさ100%の言葉と共に、手作りのご飯でもてなしてくれるのだ。(おおよそ90歳、どんだけ大変なことか。)
体力的に、買い物に自分で行けなくなってしまったので、生協を利用しているのだけれど。
こうやってフラッと来る孫のために(野生のポケモンレベル)
自分一人では食べないアイスやお菓子、コーヒー(私しか飲まない)をコッソリ頼んでおいてくれるのである。愛情100%。
もう、一緒にいるだけであらゆるところに愛があって、何気ない行動や言葉でそれを教えてくれるばーちゃんは、やはりいくつになっても私の憧れなのである。
あらゆる苦労を乗り越えた先の凄み
おおよそ90歳(女性なので、ボカします笑)なので、当たり前のように戦争を経験している世代。
ドラマや映画ではみるけれど、どうしても他人事と思ってしまう酷い時代を生き延びた世代は、後にも先にももういない(であって欲しい。)
また、それだけでなく、義母や知人、夫の介護などなど、、、
おそらく私の知らないところで、それ以外でも、言葉にできない苦労をしてきたばーちゃん。
聞けば、話してくれるけれど。どの苦労話も自慢せず、ただ周りの人を大切にする姿は、きっと死ぬまで叶わない。
でも、生きているうちに、会えるうちに、その少しでも学びたい。
こんな凄みを教えてくれるのは
やはり、ばーちゃんなのである。
私の人生の目標
ということで(?)
私は明日もばーちゃんに会いに行くのである。
少しずつ、ばーちゃんは老いてきて、
少しずつ、私は歳を重ねてきて、
心配ごとは、思えばきりがないほどあるけれど。
そんな今の私たちにしか話せない話も増えていて。
(ばーちゃんの恋バナとか。笑)
会える内に、たくさんたくさん会いにいくのである。
私の人生の目標の人に。
皆さんもぜひ、敬老の日、それぞれ楽しく過ごしてくださいね^^。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。❣️