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安っぽいキラキラと、泥臭い日常の価値。
最近、情報の世界に溢れる【キラキラ】がどうにも安っぽく感じてしまう。
それよりも泥臭い、どこか冴えない日常の中にこそ、本質的なものやそのものの良さが隠れているよなぁと改めて思うのである。
というのも、最近出会ってきた本や、映画の作品がまさにそういうものばかりなのである。何かの縁なのか、わからないが
安っぽいキラキラ
に、一部どこか目が向いてしまっていた自分に、冷水を浴びせるように目を覚まさせてくれたのである。
キラキラの罠
SNSを開けば、華やかな画像と派手な見出しが目に飛び込んでくるけれど、クリックしてみると中身がスカスカでがっかりすることも多い。
確かに、キラキラした人生はやっぱり憧れる。
誰だっていい家に住みたいし、美味しいものを食べたり飲んだり、自由に生きたい。最先端のファッションだって楽しみたいし、バケーションも欠かせない。
しかし、キラキラを追い求めると、疲れるのだ。
そして、なにより、
その人の根本にあった良さや味わい深さをキラキラで塗り替えられてしまう感じがあるのだ。
影にある泥臭さの価値
一見、社会的にはキラキラしていると警戒していた人も(おい)、実際に会ってみると泥臭い人が多い。
私が出会ってきた人の体験談になるので、n数=1の話ではあるが・・・
私は人の生い立ちや背景がどうしても気になってしまうので、初めて会う人でも割と濃い深い話をしてしまう。(癖がある)
そうすると、必ずといっていいほど、キラキラしている人ほど泥臭い。
そしてその泥臭さが、その人の良さを滲み出してくれているのである。
【泥臭さ】に気付かされた作品たち
いうまでもないが、私は泥臭い出身の泥臭い住まいの人間である。(どういうこと 笑)
だからこそ、キラキラした人生に憧れるときがある。
しかし、そんな幻想から引き戻してくれた作品たちと最近よく出会う。
例えば、益田ミリさんのエッセイ本のこんな一説(うろ覚えであるが)。
(かき氷で例えると)、頂上の味が濃いとこがセレブな世界で、うちらは裾野の白い部分か。 ははは
一生頂上の味はわからないけれど、もし本当にいい水で作っていた氷だとしたら、氷の味の良さはピカイチだよね。(こっちは独自の解釈です 笑)
他にも、さくらももこさんのエッセイや、映画『パーフェクトデイズ』など、こういった気づきを与えてくれる作品に惹かれてしまう。
日常の中にこそ宝がある
最近、お金をかけたものを振り返ってみると、キラキラの鎧ではなく
・観葉植物のドルステニア・フォエチダ
・hibi のお香や、diptyqueのキャンドルたち
など、日常を楽しむものばかり。
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小さな体が少しずつ成長し、一つ一つ葉を伸ばしていく様子を見ていると、心が癒される。
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また、どんなにやる気が起きない日でも、キャンドルのゆらゆらな火を見ていると癒される。これもまた、泥臭い日常の中の小さな喜びだ。
・・・とまあ、今日もこんな感じで泥臭く生きていくのである。
では、また!
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