四月を十七音で言うならば
あれだけゴールデンウィーク中には四月の俳句を載せると言っていたにも関わらず、である。平成の句は平成のうちに、なんて思うだけでちゃっかりゴールデンウィークを手放しで楽しみ、終わってもなお逃げたけど、今日こそ。ということで、四月の句会に提出した句をいくつか。
いま横をすれ違った春にさよなら
先生の直し無し
四月、大好きな春が横をすれ違う瞬間が分かった。また来年会いましょうって心の中で挨拶した。
落椿死なせてたまるかと拾う
先生の直し:落椿死なせてたまるかと拾ふ
最近死についてよく考えていて、ぽとりと音を立てて落ちた椿にも気持ちを取られる。このまま誰にも知られず気にされず死んでいく椿をそのままにできなくて、せめて、と思って詠んだ。先生の直しは現代仮名遣いを歴史的仮名遣いにしたものだ。それでも私は現代仮名遣いでいかせてもらいたいな。
ばあちゃんはきっと桜になって散った
先生の直し:ばあちゃんはきつと桜になつて散つた
まあまあ元気に生きているんだけれど、もうきっと会えない私の祖母。四月、それを確信したから、ばあちゃんは私が愛してやまない桜になって散ったことにした。これでもう会いたいと泣くことはない。だってあんな綺麗な桜になって散って、わたしはそれを見送った。ちゃんとお別れできた。それと、もう何年も前の4月4日に亡くなったひいばあちゃんのことも想って詠んだ。多分誰もひいばあちゃんの命日なんて覚えていないから、ひいばあちゃん、私は覚えてるよって言いたくて。
花屑もひとり逝きたくなかっただろう
先生の直し:花屑となりて逝きたくなかったろう
これも最近頭から離れない死のことを考えながら詠んだ句。花屑は花びらのこと。あんなに咲いている桜も落ちるときはひとひらずつひらひらと。死ぬときは一人だと皆思っているし知っているけれど、さみしいなあ。わたしは。桜の花びらさえも孤独に死ぬんだから仕方ないのにね。
四月逝く君にセーター洗わせて
先生の直し無し
四月はそろそろと衣更えを始める時期。もう厚手のセーターなんていらなくなって、一着ずつ手洗いをしたときの句。"四月逝く”っていう季語が堪らなく好きだ。もっと使いたかったな。
公園の花影踏んで夜更ける
先生の直し:公園の花屑踏んで夜の更く
たまには俳句らしい俳句も詠もうと思って。彼と夜、ポケモンGOをしに公園に行くのだけれど、いつも行く公園に街灯に照らされてひっそり咲く桜を見つけた。特別にライトアップされているわけでもなく、ただよくある公園の蛍光灯だったのに、何故かそれが驚くほど馴染んで、花の影すら素敵で見惚れた。先生の直しも気に入っている。花影じゃなくて花屑でもいいな。”夜の更く”っていう言い回しも好きだ。
人形の目にも桜映るだろうか
先生の直し:人形の目にも桜は映るかと
家にいるクマのぬいぐるみにも桜って映ってるかな、って。見てくれているといいなって。ただそれだけだ。
句会ではばあちゃんと公園と人形の句が人気だったらしい。良かった。春、もう恋しいな。拙い句に最後までお付き合いいただきありがとうございました。あなたはやさしい。
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