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未だ日本語しか喋れず、無念。

あーもういい加減英語喋れるようになりたい。日本語じゃなんっも伝わんない。

こう思ったのは大学生のころ。カフェでバイトしていたまさにそのときだった。岡大近くのカフェでバイトしていたものだから、大学生のお客さんも多く、留学生も沢山来ていた。彼らは日本に勉強しに来ているのだから当然日本語が喋れるのだけど、だからといって万能なわけでもなく、適当な日本語が見つからないときは急に英語で喋りはじめたりするからよく困らされた。あっちは発音良すぎて聞き取れないし、こっちは発音悪すぎて聞き取ってもらえないしでオーダーすら取れないのだ。あなた多分豚肉食べれないでしょ(宗教的に)、だから肉無しで作るけどそれでいい?なんてどう説明すればいいんだって話である(相手のオーダーはオムライスだった)。身振り手振り、なんならメモ帳まで引っ張り出して英単語を書き連ね、どうにかコミュニケーションをとった。よく来る韓国人の留学生のときもそうだった。いつもはアイスコーヒーなのに珍しくカフェラテを頼んできたものだから、うちはカフェオレしかないんだけどそれでいいなら、と言ってしまってすぐ後悔した。いつもはカタコトながらも綺麗な文法の日本語で話してくれる彼女が、急に英語で喋りはじめたのである。私の日本語の意味が分からなかったらしいけれど、そこは韓国語が出ちゃう場面じゃないの?え、韓国って英語が母国語?いや、そんなわけない。なのになんだこの流暢な英語は。うわーすご。めちゃくちゃかっこいいじゃん。必死で英語で何かを問いかけてくる彼女に一瞬自分の世界に入ってしまいながらも、自分の英会話力の無さを知り切っている私はさっさとメモ帳を取り出して英単語を書く。どうにか伝わったみたいで、(あーはんって言われた。これなるほど的なあれだよね)無事に彼女にカフェオレを提供してその場は何とかおさまった。アジア人だからって英語ができないことに開き直っている場合じゃないという危機感が持てたのは彼女のおかげだ。

高校のころ英語を教えてあげていた友人にも感化された。彼の英語力は私の拙い教え方で当然上達するわけもなく、伸びないままだったけれど、ブロンド美女と恋に落ちることが夢だったらしく、大学生になってアメリカへ1年間留学した(ブロンド美女とは恋を始められずだったみたいだ。そっとしておこう)。そんな彼が帰国したので、もう1人友人を誘って彼の通っていた大学のある京都へ旅行したときのことである。ここはもしかして外国ですかと言わんばかりに溢れかえった外国人をかき分けて、彼に目的地に連れて行ってもらう最中だった。私たちと同じように電車を待つ外国人が、彼に英語で何か話しかけているのである。いやそれは人選ミスってもんよ外国人さん、なんたって彼は英語はてんでだめでーーなんて哀れみながら、さてさて翻訳アプリでもとスマホを取り出した私の前で、彼はなんかよくわかんないけどめっちゃネイティブな反応をして(相槌とかそういうの)さらりと会話を進行させたのだ。すんなりと執り行われた英会話に置いていかれた私は、引き攣った笑顔を彼に向ける。どうしたの、とでも言いたげな表情でこちらを見返す彼。ああそうですか、もうあなたにとって英語はもはやなんでもないものになっちゃったんですね、昔あんなに英語できなかったのに。高校のときいっちょ前にセンター英語を教えてあげていた私の鼻を今すぐへし折りに行きたい気分だった。彼にかっこいいという感情を抱いたのは初めてで、私もいきなり話しかけられて対応できる人間になりたいと強く思った。

この2つのエピソードは、今でも私の頭から離れない。母国語が英語じゃないからって英語が喋れなくて当然ではないし、センター英語で160点しかとれなかった人でも必死に学ぼうとすれば英語はいつでも寄り添ってきてくれるのだ。私もいつか絶対喋れるようになってやる、と決意を固くした。

これらの出来事から数年経っているけれど、未だ私の英語力は上がらずである。なんせ、モチベーションを維持し続けるのは難しい。すぐ怠けてしまう自分がいる。でも、想像するとわくわくする。英語が話せるようになって、仲良くなれる可能性のある人たちの幅が今よりもっと広がったり、街ですれ違う外国人たちの会話が耳に入ってきて笑っちゃったり、ときには困っている外国人の方を助けられたり。最高だ。彼らの温度で私も生きている気がする。英語をマスターしたら、次はフランス語がいい。大学で第二外国語としてちょっとだけかじったけど楽しかった。空気のこもった発音は、どこか色気があって、おしゃれで憧れる。今はそんな未来を想像しながら、毎日逃げずに外国語と向き合おうとしているけれど、その前に日本語の文章力を上げなくちゃいけないかなと思ったりも、する。

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