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パンデミック・ウォーズ(第1話) 引きこもり天才児、位田駆のコロナ禍の日常

あらすじ
小学6年生の位田駆(いでんかける)は、IQ185の天才児だが、アスペルガー症候群もあり、学校に馴染めず不登校。そんな折、コロナ禍に見舞われる。遺伝学者の父・守は政府の新型コロナ対策具分科会会長に任命され、ますます多忙に。駆はそんな父の背中を恋しく思いながらも、言葉にできないでいた。ある日、児童精神科の主治医から、学者が集う科学サロンを紹介され、気乗りしないまま入会してみると…。コロナ禍の記録的フィクション。

目次
 
第一章 実効再生産数
第二章 エビデンス
第三章 ワクチン
第四章 科学者たち
第五章 人命と経済
第六章 変異ウイルス
第七章 怒りと裏切り、そして絶望
第八章 コロナ治療薬の開発
第九章 対立の源
第十章 未来へ

☆☆各章リンクは随時公開☆☆


第1章 実効再生産数


 
「厚生労働省によりますと、今日の東京都の新規感染者数は18,972人で、先週の同じ曜日の人数を大きく上回りました。これで、3週連続で前の週の感染者数を上回りました。全国では……」

番組のオープニングを告げる短いメロディが流れ、19時のNHFニュースが始まった。木製のローテーブルにベージュのソファが整然と並んだリビングに、西日が差し込んでいる。

僕、位田駆は、愛用のMacを膝にのせ、テレビの正面で構えていた。画面上にはすでにExcelを開いている。今日のトップニュースを耳にするやいなや、僕はカーソルを素早く移動させ、D列28行目のセルに合わせた。

そこに《18,972》と入力し、ふう、と息を吐いてしばしソファの背もたれに身を預けた。表全体を見渡すと、数字に間違いないか確かめてエンターキーを押した。

カチッ。乾いた音が響く。
間を置かず、L列 40行目に数値が表示された。
 
1.2
 
この数字は、最新の実効再生産数だ。
そしてさっき僕が入力したのは、今日発表された東京都の新型コロナウイルスの新規染者感染者数である。このシートに感染者数などの情報を入力すると、実効再生産数が自動計算される仕組みになっている。

実効再生産数とは、統計数理学が生み出した感染症学の概念だ。簡単に言うと、1人の感染者が何人へ感染させるかを表したものである。実効再生産数が1以下になると、1人の感染者がウイルスをうつすのは1人以下となり、感染者は減少しパンデミックは収束に向かうと言われる。

世間の人たちは、毎日新規感染者数が減ったの増えたのと一喜一憂しているが、実効再生産数こそ感染がどの程度拡大していくのかを予想する、非常にわかりやすい指標なのだ。感染者数よりこの数値に着目した方がパンデミックの動向を正確に把握することができる。

ちなみに、今僕が算出した実効再生産数1.2は、はっきり言うとかなりマズい数字だ。先週は0.9だったことを考えると、今週に入ってから感染が拡大していることを表しており、このまま感染を抑えられなければ近いうちに第3波に突入するだろう。

僕は数字が示す状況に苛立ちを感じ、頭をガシガシ掻いて鼻腔から大きく息を吐き出した。すると僕の怒りに反応するかのように、母さんがテーブルの上に揃えて置いていた広告紙がひらりと舞い上がった。コロナ禍のため、しばらく美容院に行けずに伸びてしまった前髪がくしゃくしゃになる。

僕は気を取り直すように髪をなでつけ、GAPのパーカーの襟元を引っ張って伸ばし、広告紙をトントンと揃えてテーブルの角に合わせて置いた。

家の中でも、きちんとしていなくてはならないと思ってしまう。メタ認知といえばそうなのだが、部屋の四隅の監視カメラで常に自分を観察しているかのような意識が働いてしまうのだ。
仕方がない、そういう性分なんだ。
 
さて、この実効再生産数だが、ふつうは国立感染症研究所や大学研究機関などの専門機関で算出されていて、その複雑な計算式は一般に公開されていない。
しかし僕は、カーマック・マッケンドリックが考えたSIRモデルをベースに簡単な数式を考え出し、Excelで計算できるようにした。

そう、このExcel表を作成したのは、他の誰でもない、この僕だ。
Excel自体は何の変哲もない通常版のものだが、数式の精度は完璧で、小学6年生が作製したとは誰も思わないはずだ。自分で言うのもなんだけど、なかなかよくできていると思っている。

僕には朝飯前の作業とはいえ、これほど簡便な式で算出できることを感染症学の専門家らが知ったら驚くだろうし、数理学のアカデミアからも注目されると思う。

でも僕はこれを誰にも見せたことはないし、これからも見せるつもりはない。

なぜって?
決まってるじゃないか。僕は誰とも関わりたくないんだ。

僕の家の夕食は18時半と決まっている。
時間に厳格な母、位田栄子は、きっかりこの時間にテーブルに料理を並べる。父の位田守は仕事でいつも不在のため、一人っ子の僕はいつも母さんと2人きりで夕飯を取っている。

今日の夕飯のメインは鶏肉の黒酢炒めだった。味付けは薄目で、野菜がたっぷりと入っている。残念なことに鶏はモモでなく胸肉だったので、口の中がパサパサした。

「子どもの頃から塩分を過剰摂取すると将来生活習慣病のリスクが高まるから、絶対に薄味でなくちゃ。鶏の胸肉は脂肪が少なく高タンパクで、健康にいい食材なのよ」というのが母さんの説明だ。

僕が「ピーマンだけはやめてくれ」と懇願しても母さんは容赦してくれない。僕の意見を無視してたっぷりと入れる。緑黄色野菜はカロチンが豊富だから、という理由だった。

悲しいことに、母の前では僕には拒否権がない。最近の母さんは、なぜかドヤ顔でこう力説するようになった。

「コロナ、コロナってみんな騒ぐけれど、ワクチンをきちんと接種してスタンダード・プリコーションを取るのと、あとは個人の免疫力が大事なの。免疫力は、栄養と睡眠、規則正しい生活をすることで高まる。ビタミンやタンパク質など、バランスよい食事でしっかり栄養を摂るのが一番なのよ」

そんな母さんの前で供されたものを残すと面倒なことになる。栄養学のうんちくを延々と聞かされるのはうんざりだ。
ゴクリ。
僕はひとかけらも残さず咀嚼して飲み下した。
 
食事が終わる頃に19時のNHFニュース『ターゲット7』が始まる。
僕はこの番組の視聴を日課にしている。そしてニュースを聞きながらエクセルに新規感染者数を記録するのが僕の絶対的なルーチンだ。

僕がNHFを気に入っているのは、論文も読まずに無責任な戯言をたれ流す、専門家気取りのコメンテーターを出演させたりしないからだ。キャスターが簡潔明瞭に事実のみを語り、個人の私情を挟まないところがいい。

「今日も増えたわねえー。今日は何人、昨日は何人だったって、なんか戦時中みたいでほんと気が滅入るわね」

アイランドキッチンの向こうから、パタンと冷蔵庫を閉める音とともに、母さんの声が聞こえた。明日の献立の下ごしらえをしているのだろう。

僕は表情ひとつ変えずにキーボードを叩き、各都道府県の新規感染者数や重症者数、死者数、病床使用率を次々に打ち込んだ。
僕が興味を持っているのは感染状況の分析。それ以外のことはあまり関心がないんだ。
 
分析を済ませると、僕はデータを保存してMacを小脇に抱え、自分の部屋に引き上げた。
夕食が終わった後、いつまでもリビングにいると母さんの論説を聞き続けることになるから、サッサと部屋に移動するようにしている。母さんの話を30分以上聞くと頭が痛くなってしまうんだ。

今の僕には、東京、本駒込に建つこの2階建て5LDKの家が世界のすべてだ。ちなみに隣に両親の寝室があり、廊下の突き当りにある広い部屋が父の書斎だ。

僕の父は、超がつくほど多忙な仕事人間だ。留守がちな父の姿を日頃はほとんど見かけないが、この書斎があることで、かろうじて父の存在を実感することができる。

そして僕の部屋は2階の角。地理的には東南東の方角にスカイツリーが見えるはずなのに、残念ながら、わが家のド真ん前に建っているお隣さんの建物のせいで見えない。

ああ、ほんと、スカイツリーまでの物体をこっぱみじんにしたら、眺めが良くなり、めっちゃ気分いいんだろうなあ。

そんな時は、物理や工学の知識を総動員して、この窓からスカイツリーまで直線で結んだ直線上にある建物を、レーザーで吹き飛ばす装置を設計してみたりする。

例えば、アメリカやイスラエルが開発している戦術高エネルギーレーザー兵器なんかに用いられている技術を使うのはどうだろう?あれは確か、水素エネルギーを利用して赤外線の威力を増幅されるんだったけ。

僕はおもむろにMacに入れているFreeCADのソフトを立ち上げた。スラスラとマウスを動かして、重水素をエネルギー源とするレーザー発射装置の設計図を描いてみた。

さらに高出力にして威力を増すためには、どうしたらいいかなあ……。
思案を巡らせ、設計図を完成させる。

よっしゃあ、できた!!  いい感じ!
次はお楽しみ空想タイムだ。

右脳の想像力を使い、頭の中でレーザー兵器を組み立てる。この窓からスカイツリーを結んだ線上に、レーザーを発射させる。

ビービビビビビビビビ……!!!
ドカーン!!  ドカーン!!  ボーン!!

思わず口から擬音語が飛び出る。
空想の中の街が、スカイツリーに向かって一直線に噴煙を上げた。

僕はこれを一人密かに、科学的ストレス解消って呼んでいる。
こうやって科学技術を使って面白い機械を想像してりするのは、僕の唯一の楽しみであり、最高のストレス発散だからだ。
想像するのはお金も労力もかからないし、人に迷惑もかけない。他人に邪魔されることもない。ほんと最高のリフレッシュだと思う。

おっと、何だか物騒なこと考えていると思う?
まさかほんとに実行するわけじゃない。想像してストレス解消するだけだ。当たり前じゃないか。空想と現実は別物だって、誰だってわかるだろう?
学校でむかつく相手がいたら「あんなやつ死ねばいいのに」って誰でも一度くらい思ったことあるはずだ。あれと同じだよ。

要するに、単なる脳内でのお遊び。歴史に「if」はなくても、科学には「もしも」は必要なんだ。自由な発想が新しいアイディアを生み出し、科学を発展させる。それに、思想の自由は憲法でも保障されているんだから。

それに、少々物騒な独り言を言ったところで、部屋の中だから誰もいない。人に見られる心配も聞かれることもない。

断っておくが、僕は引きこもりではあけれど、常識的な人間だと自負している。良識があるからこそ、ヤバイことをを実行できる高い知能があっても、想像するだけ終わらせている。まあ、そりゃ当然だけどね。

さて。1日の新規感染者数を確認し、感染状況をチェックすれば、別に他にすることはない。ゴロンとベッドに転がった。特にすることもない毎日だ。長らく学校に行かないと、時間は腐るほどあるものだ。

見慣れた天井。窓の外から、誰かがスマホで話しながら歩いていく声が聞こえ、やがて遠ざかった。なんで人は、スマホで喋るとき大声になるんだろうなあ……。聴覚じゃなくて、意識的な問題かなあ。今度調べてみよう……と、ぼんやり考える。

思えば僕には話したい人も会いたい人もいない。だいたい話が合わない奴らと会って何が楽しいんだろうかと僕は思う。集団行動なんてバカバカしくてやっていられない。

世の中、たくさんの大人が「多様性」とか「個性を大事に」とか耳障りのいいことを言うけれど、現実は違う。それは世にも美しい建て前だ。いつでもどこでも集団行動が求められる、それがこの国の現実だ。

そこには自分の意思は必要ない。
求められるのは思考停止。
否が応でもみんな一緒。
右向け右。

学校では一日のスケジュールも座る席も決められていて、僕らは従うほかない。トイレに行く時間や水を飲む時間といった、つまり生理的欲求を満たす時間すら規定されており、みんなと一緒に短時間で済ませなければならない。

これに疑問を抱くなんてご法度。
みんなと同じ行動ができなければ白い目で見られる。

まったく、こんな恐ろしい話があるだろうか。
僕には、そんな生活を強いられるのは強制収容所レベルの恐怖だけれど、世の中のみんなは思考停止していて、それほど苦痛でもないようだ。中には、決められたスケジュールに従う方が楽だと言う輩もいるらしい。まったく異人種としか言いようがない。

そうそう。いつだったか、「駆くんは協調性がないね」と言われたことがある。「そんなんじゃ、世の中渡ってくのは大変だよ」とも。

でも、考えてみて欲しい。この国のみんなが思っている「集団行動」は、本当に「協調性」ゆえの行動なのだろうか。

世間の人は「協調性」の意味をはき違えていると思う。この国のみんなが得意とする「集団行動」と「協調性があること」は、根本的に意味が違うと僕は思っている。

ああ、どう説明したら、このニュアンスの違いをわかってもらえるのだろう。

自由があるようでいて、無言の圧力で選ぶべき選択肢が決められている国。
自分を押し殺さなきゃ適応できない国。
まやかしの自由。
飾り物の権利。

そもそも国家は個人のためにあるはずだ。憲法にもそう明記されている。嘘だと思うなら憲法を読んでみるといい。
しかし現実はどうだろう。僕には、この国では守るものと守られるものが逆転しているように見える。

外国に行ったことがないから想像で比較するしかないけど、こんなに生きにくい国は他にはないんじゃないだろうか。

その点、自分の部屋の中は平和だ。人と会う必要はないから、『僕』のまま生活できる。必要なものはアマゾンで注文すればいい。不都合なものは、ぶっ壊す想像をして、自分の認識の世界から消すんだ。ここは誰にも邪魔されない僕だけの空間だ。

コロナ禍の今は、国のお墨付きで堂々と引き込もれるようになった。僕はひそかに『政府公認引きこもり』と呼んでいる。
長年引きこもってきた『引きこもり本家』の僕からすると、まったく皮肉で笑える現象だよ。

外に出て、思考を停止させて金太郎飴になって生きるくらいなら、家の中で自分の思考を羽ばたかせ、誰にも邪魔されず好きなことを好きなように考え、SNSに言いたいことを書き込んで完結する人生の方がマシだと、僕は思っている。
きみもそう思わないかい?

僕はポケットからiPhoneを取り出し、ベッドに仰向けになったままツイッターのアイコンをクリックした。
僕のアカウント名はロジカリスト。@logicalistで検索するとヒットするはずだ。コロナに関するフェイク情報を叩いていることで、最近じわじわフォロワーが増え、今では10万人近くのフォロワーを抱えている。

僕は1日の大半をツイッターに費やしている。ツイッターは引きこもりの僕が社会に対して自分の存在意義を示せる貴重な空間だ。ネット世界で影響力を持てたことが、僕の自尊心を高めてくれたと言っても間違いない。
 
《マスクもうヤだ。肌が荒れて困る。こんだけ
 感染者増えてて、マスクに意味あるの?って思うけど
 化粧しなくていいから楽だわ》
 
OLと思しき女性のツイートが目に飛び込んでくる。
タイムラインにはコロナに関する投稿があふれている。さらにハッシュタグで検索し、画面をスクロールして次々に読んでいく。コロナ疲れという言葉も散見される。
 
《コロナなんてただの風邪だろ》
 
「そんなわけあるかよ!」
 そのツイートを見たとき、僕は思わず声を上げた。
どこの誰だか知らないが、コロナがただの風邪だとか冗談を言うなよ。頭に血が上り、素早く指を動かしてコメントを書き込む。
 
《風邪だって思うんならキミがコロナにかかってみれば?
後遺症が残って泣くハメに遭っても知らないから》
 
 こうやって僕は、暇さえあればツイッター上をパトロールし、感染予防策への文句や非難を叩いている。

感染対策は、自分が感染しないのももちろん、周りに広めないためにするものだ。自分は感染してもいいと思っていても、周りの人間はそうじゃない。感染予防策を取らないのはテロ行為と見なすべきだ。

そんな僕からすれば、SNSという、いわば公共のプラットフォ―ムに、単なる主観や陰謀論てんこ盛りの嘘八百を書き込む奴らの気が知れない。全く、みんなそんな無知で「言論の自由だ」とかほざいて、恥ずかしいとは思わないのだろうか。
 
《また緊急事態宣言が出るのかな?
 もうやめてくれ。
これ以上店休んだらうち潰れるよ》
 
どこかの居酒屋の店主が書き込んでいた。
飲み食いしながらしゃべると多量の飛沫が飛ぶのは、誰だって想像できるんじゃないの?
居酒屋は客同士の距離が近く、感染リスクが高いスポットのひとつだ。僕に言わせれば緊急事態宣言中でなくても居酒屋の営業は自粛してほしいくらいだ。

こういった市井の経営者たちは、ロックダウンくらい強硬な手段を取らなければ言うことを聞かないのだろう。

日本は、諸外国よりもユルいロックダウン、つまり緊急事態宣言で奇跡的に第1波、第2波を抑えた。アジア人の遺伝子が、重症化率の低さに影響しているのではないかという説もあるが、まだ仮説の段階なので、ここれでは触れないでいる。

ロックダウンなしで感染を抑えた「日本モデル」は、世界から注目された。しかし、僕に言わせれば世界に類を見ない「社会的な同調圧力」が功を奏し、結果オーライだっただけだ。

僕はそれでは手ぬるいと思う。こういった自分のことしか考えていない経営者らもきちんと休業するよう、もっと強固なロックダウンを断行すべきだ。
ロックダウンすれば確かに経済活動はストップする。できることなら避けたいと思うのは当然だ。世界に目を向けてみても、実はどの国も大手を振ってロックダウンに踏み出したわけではない。

イギリスなんかがそうだ。イギリスの首相は、当初ロックダウンには批判的だった。当然と言えば当然だ。首相は感染症のことだけを考えていればいいというわけにはいかない。この資本主義社会ではなおさらだ。特にイギリスはEU離脱を間近に控えていたため、ロックダウンによる経済的ダメージを負うのを恐れていのだ。

しかし科学者たちがそれに異を唱えた。ロックダウンを行わずにこのまま経済活動を続けると、大勢の人の命が奪われると科学者が訴えたのだ。首相の心は動かされ、ロックダウンが実行された。

のちの調査で、ヨーロッパの各国でロックダウンを行った国は実効再生産数が1前後に落ちたが、ロックダウンしなかったスウェーデンは2~3だったというデータが発表された。経済の痛みを負っても、感染予防のためにはロックダウンが効果的だと数字が示したのだ。

素晴らしい……!
実に素晴らしいと僕は感動する。
人はよく目先の利益にくらんで判断を誤るが、あらゆるバイアスを排除して科学が導いた真実は人の命を救うのだ。

こんな尊いデータがあるというのに、感染対策より店の経営が大事だと思う感覚が僕には全く理解できない。
ちなみに僕は、事実に忠実な情報をこの上なく愛している。反対に、ちょっとでもエビデンスに反する情報は、鳥肌が立つほど嫌いだ。

エビデンスとは、つまり『Lancet』や『The New England Journal of Medicine』といった世界的に一流の専門誌に載った論文を指す。
 コロナについても、当然これらに投稿された主要論文のすべてに目を通してきた。もちろん英文のままだ。

こうやってSNSをパトロールしてコロナについて間違った投稿を叩き潰し、正しい知識を広めるのは僕の正義による行動だ。

僕は店主のツイートにコメントした。
 
《だったら潰れるしかないんじゃない。
 今、何が大事か、その頭で考えてみなよ》
 
即座に返信がくる。
 
《潰れればいいって、お前何言ってんの?
 何様なの?マジむかつく》
 
通りすがりのアカウントからも次々に援護射撃が入る。
 
《お店の人たちも必死に頑張ってるのに、
そんな言い方ないでしょ》

《店が潰れたら誰が責任取るんだよ。
どうせ政府は大企業しか助けないんだ》

《俺ら中小企業や自営業はいつだって
切り捨てだ。大人しく言うこと聞いてたら
首吊ることになる》

《借金して建てた店。
自分で守って何が悪いんだ!》

《コイツ知ってる。ロジカリストだよ。
何かの専門家かなんかじゃなかったか?
エビデンスがどうとかって言って、ケチ
つけてくるヤツだ。血も涙もねえな。人間か?》
 
僕はもうそんな返信をすべては読まない。全部読んでも書いてあることは一緒だからだ。僕はある論文を引用して、

《これ読んでから文句言ってよ》

と書き込んだ。

僕がコメントに引用したのは、マサチューセッツ工科大学のテクノロジー専門誌に掲載された『会話による飛沫が空気中に浮遊する時間と新型コロナウイルス感染症の感染リスク』という論文だ。

WHOはコロナウイルスの感染経路について、2020年3月には飛沫感染と接触感染が主であるため、通常の生活では空気感染はしないという見解を出していたが、世界中の研究者がその見解に異を唱え、コロナの感染経路に関する様々な実験や調査を行い、論文を発表した。これはそのうちのひとつだ。

知っている人も多いと思うけど、ウイルスの感染経路にはいくつかある。
主に空気感染、飛沫感染、接触感染、経口感染、血液感染だ。血液感染はコロナにほとんど関係しないため、ここでの説明は割愛する。

まず空気感染。これは空気中に漂ったウイルスが人に感染することを言う。
次に飛沫感染とは、咳やくしゃみをすることでウイルスが空気中に飛散し、それを吸った人が感染することだ。
接触感染とはウイルスの付いた人の体や物に直接触れることで起こる感染を指し、経口感染とは、ウイルスの付いた食べ物を食べることで感染することを言う。
インフルエンザをはじめとする呼吸器感染症は、飛沫感染や接触感染が主な感染経路である。そのためコロナも同様だと考えられていた。

これに異を唱えたのがこの論文だ。この論文では、コロナウイルスのキャリアが大声で話したとき、どれほどの飛沫が空気中に放出されるかをレーザー装置で観測した結果が報告されている。

大きな声を出すと、なんと1,000粒の飛沫が飛ぶ。もちろん飛沫にはウイルスが含まれている。
その飛沫は、閉鎖された空間では8~14分間も空気中に漂っているという。実験により、コロナウイルスが空気感染する可能性を示唆したのだ。

ちなみに僕は、世間で当たり前だと考えられていることを、科学的な実験や観測データを用いて本当かどうか検証した研究が大好きだ。これまでの定説が覆されるエビデンスが発表されると、背筋がゾクゾクしてしまう。

おっと、ツイートに話を戻そう。

居酒屋のような店舗の多くは、十分な換気がなされているとは言いがたい。そんな閉鎖的な場所で飲み食いしながら大声でしゃべれば、どれほどのウイルスが店内を漂うか想像するだけでも恐ろしい。
この論文を読んでちょっと考えれば、居酒屋がどれだけ感染リスクの高い場所かわかるはずだ。
 
引用ツイートに返信があったことを示す通知が入る。
 
《なんだこれ?》

《意味わかんねえ。店とどう関係があるんだよ》

《ライバル店の嫌がらせなんじゃないの?》
 
苛立ちを通り越して呆れてしまった。この論文の意味がわからないというのだろうか。確かにこの論文は英語で書かれているが、今どきはGoogleが翻訳してくれるから、言葉の壁は理解できない理由にならないだろう。

次々と返信が入る。エンゲージメントを確認するが、20を越える返信のうち、引用論文のリンクを開いたのはたった2人だった。

おいおい、リンクも開かずにコメントしているのか。引用された論文の内容も確認せずに返信するなんて失礼にもほどがある。こいつらいったいどういう神経しているんだろう。
 
呆れた僕はツイッターを閉じ、気分転換にPubMedのサイトを開いた。PubMedとは、医学系の専門誌に掲載された論文が載っているデータベースのことだ。このサイトには世界中から日々最先端の科学論文が発表されていて、読んでいて興味が尽きない。

PubMedをはじめとするいくつかのデータベースを検索しながら最新論文をチェックするのは僕の数少ない日課だ。
通称ⅭNSと呼ばれる『Cell』『Nature』『Science』といった論文誌の御三家には毎日必ず目を通している。

Natureの姉妹ジャーナル、『Nature Communications』なんかもこの頃アグレッシブで面白い論文を載せていると思う。『Journal of Clinical Investigation』もめちゃくちゃイケていて、1日中でも読んでいられる。

医学や生物学は、つまりこの世の真実だ。
母さんや先生たちは「ネットの世界にのめり込んではいけない。外の世界に出ないと。もっとたくさんの出会いをして視野を広げなくちゃ」というけれど、小学生の僕が外出したところでせいぜい半径20㎞程度の移動範囲だ。

都心に行けば多少は面白いことがあるだろうが、僕の年齢では夕方以降に街をうろついていたら補導されてしまうし、イベントにも子ども一人では入りづらい。

インターネットの世界を散策する方が、家から出る必要もないし、お金もかからないし、労せず世界中の情報を得ることができる。リアルよりネット世界の方がよっぽど知性が刺激されるというものだ。

小学6年生の僕がこんな論文を読めたり、いろんなことを知っていたりするのか疑問に思う人もいるかもしれない。実効再生産数の計算式を発案したのに驚いている人もいると思う。

こんなことができるのも、僕がIQ185だからだ。この頭脳のおかげで世の中のたいていのことは理解できてしまう。
難解な専門書も、英語も読めるし、中国語やフランス語も日常会話レベルなら話すことができる。数式も理解できるし、プログラミングコードも書ける。
日本で飛び級ができるなら、今すぐにでも難関国立大学に入れるだろう。

そして僕は、アスペルガー症候群、つまり自閉スペクトラム症の一種であると診断された、発達障害者でもある。
幸か不幸か、この頭脳と発達特性のおかげで、周囲から浮きこぼれてしまい、現在、絶賛不登校中なのである。
 
僕が発達障害だと判明したのは、小学校に入学してすぐ、7歳の頃だ。発達障害、そしてギフテッドと診断された日のことを、僕は鮮明に覚えている。

僕は学校の担任に勧められて教育相談を受け、その後間もなくして母さんと一緒に児童精神科の発達外来を受診したんだ。

児童精神科の初診日、白衣を着た人からいくつかの心理検査を受けた。検査はめちゃくちゃ簡単だった。最後に診察室に移動し、医師からいくつか質問を受けた。あれも何かの検査だったんだと思う。

2週間後、再び母さんと病院を受診した。
「駆くんには、アスペルガーの傾向が認められます。それと、WISC‐IVでIQ185と判定されました。駆くんは平均よりはるかに高い知能を持っています。ギフテッドと呼んでいいでしょう」
担当医が母さんにそう告げた。

医師の言葉に、母さんは喜ぶべきか悲しむべきかわからなかったらしい。しかし、すぐに母さんの表情がこわばていったのが僕にもわかった。

僕はふだん滅多にしゃべらなかったが、興味があることについては知識が堰を切ったように話し出すことがあった。物心ついた頃からこだわりが強く、頑固な面が見られた。
要するに僕の性格には良い面もあればそうでない面もあったが、母さんは「男の子はこんなものだろう」と、特性に問題があると思っていなかったのだ。

母さんは、学校から勧められて受診したものの、「正常な発達です」という診断結果を得て「ほら見たことか」と担任を見返すつもりだった。

それが、クロだったなんて。母さんはその事実を受け止めかねた。

「先生、どうしたらいいんでしょうか」

「駆くんは知能指数が非常に高く、アスペルガーの傾向が見られました。関連性は不明ですが、アスペルガーはギフテッドに多い症状だと言われています。ギフテッド児が周囲になじめないのは実はよくあることなんですよ。無理やり集団に押し込むと自尊心が損なわれ、二次障がいを起こす可能性があります。無理に適応させようとして、二次障がいを起こすのは防止したいですね」

「学校に無理に適応させないほうがいいとしたら、どうしたらいいんですか?」
母さんは食い下がるように医師に質問した。

「残念ながら、日本ではまだギフテッド児への公的な支援はほとんどない状態です。患者さんたちはそれぞれのご家庭でフリースクールを探すなど、いろいろ工夫していらっしゃるみたいです。孫正義育成財団につないでもらって、ギフテッドのための特別プログラムを受けたというお子さんもいるようですが、私自身が診た患者さんではないし、ギフテッドについては詳しくは知らないんです。申し訳ありません……」

診察が終わり、僕たちは病院を後にした。
母さんが駐車券を受付に提示するとき、売店を見つけた僕は、
「母さん、お腹空いた。なんか食べたいよ」
と言ったが、母さんは上の空で返事をしてくれなかった。

そうだよね、自分の子どもが発達障害だと言われて、平気でいられる母親なんていないはずだ。
でも実は僕自身、その時は医師の説明の意味は十分にわからなかったけど、雰囲気ですべてを察知して「やっぱりね」と納得していたんだ。

僕は幼いながらも、自分は周りの子どもとはどこか違うと感じていた。うまく言葉にできないけど、「違和感」というか「疎外感」というか、「僕だけ周りから浮いている感じ」というのか。診察を受けて、そういうモヤモヤに説明がついたように感じたんだ。
 
母さんは、僕が発達障害とわかるやいなや、発達障害や不登校児の本を片っ端から読み漁った。一時期、リビングがそれ関係の本があふれかえったくらいだ。

ある日僕は、
「その本に、僕のことが書いてあるの?」
と母に聞いてみた。

母さんは本に目を落としたまま、
「そうよ、駆にとってどうするのが一番いいか、いろいろ本を読んで勉強しないとね」
と言った。

「駆も覚えておきなさい。何か問題にぶちあたっても、世の中には必ず解決法があるの。昔と違って情報だって今はたくさんあるわ。人生はね、失敗するのが悪いんじゃないの。わからないことをそのままにしたり、ただ嘆き悲しむのが一番いけないことなのよ」

それを聞いて、僕は母さんにとって「失敗」で、「ただ嘆き悲しむだけ」の存在になったんだろうか、とぼんやり思った。

「でも母さん、僕のことは僕に聞かないとわからないんじゃないの?」
と、僕は問うてみた。

すると母さんは、
「ごめん駆。お母さん、ちょっとご本に集中したいの。向こうに行ってプラレールで遊んでてくれる?」
と僕の言葉を遮った。

やがて母さんは発達教育の専門家とコンタクトを取ったり、セミナーに参加したりして情報収集するようになった。フェイスブックで同じギフテッド児を持つ親の交流グループにも入っているようだった。

僕がギフテッドだと判明してから7年経った今も、ペースダウンはしたものの、母さんはまだ発達障害に関する勉強を続けている。

そんな母を見ていると僕はいたたまれない気持ちになる。発達障害児の会に関わる母の姿を、僕はもう見てみないふりをしている。

「駆―!自分が食べたお皿はちゃんと片づけて!」
母さんの呼ぶ声が聞こえる。

いけない、ツイッターに気を取られ、ついうっかりしてしまった。母さんは行儀にうるさい。学校に行きたくないのなら家にいてもいいが、家の中では自分のことは自分でやるようにと言われている。

僕は足音を立てないように階段を降り、ダイニングキッチンに戻った。僕が入って来たのがわかったくせに、母さんは僕の方を見ないでお皿を洗っていた。

「ごめん」
母さんの顔色をうかがいながら自分の皿を持ってきて、母さんの脇の下からそっと流しに入れた。

「そっちはもう洗ったの。一緒にすると汚れるから右に寄せて」
母さんがため息をつきながら顎で流しの右端を示したので、僕は無言でそれに従った。

このまま部屋に黙って戻ると「都合が悪いとすぐ逃げる」と、母さんの怒りに触れるような気がして、僕は再びリビングのソファに腰かけた。僕はいつも母さんの機嫌を伺いながら生きているような気がする。

手持ち無沙汰に、ぐるりとリビングを見渡すと、見慣れすぎたインテリアが網膜に映った。
自分で言うのもなんだけど、わが家のリビングはベージュ系のカラーで統一され、ホテルのような洗練さだ。母の手によって日用雑貨はすべて壁に作り付けられた棚に収納され、視界に入らないようになっている。

「環境が大事。部屋が整っていれば思考もシンプルになる」という母さんの意思がそこかしこに反映されたインテリアだ。

でも僕はリビングにいると、母さんがつくった箱庭の中で生きている人形みたいな気分になる。僕も備え付けの置物のひとつなんじゃないかって思えて、落ち着かなくなるんだ。


続く

※この物語はフィクションです。


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