当たり前のように目標を否定される子供
考えてみれば、子供のころから目標を否定されてきた。
例えば、学校の体育行事だ。
僕は大勢でワイワイ集まってやるイベントが基本的に嫌いな上に、運動も得意ではない。学校などで行う体育祭や球技大会などは大の苦手である。
そうなると、僕の中では目標は「負けてもいいからさっさと終わらそう」というものになる。しかし、当然このような考え方は良く思われない為、否定される。
例えば、給食だ。
学校の給食などでは、メニューは自分の好き嫌いは関係ない。当然、苦手な料理も登場する。しかし、苦手だからと言って残すことは基本許されない。
僕には苦手な食べ物があるが、そのせいで健康に害が出るほど栄養が偏ることはない。多少嫌いでも栄養面を考えて「不味いけど食べたい」と思えるものは食べてきた。そうであれば、どうしても食べられないような苦手な食べ物を無理して食べる必要はないはずである。しかし、そういった目標も否定される。
このように、子供のころから、自分で考えた目標を否定されることが色々あったように思う。時間を作れば他の例ももっと思いつくだろう。
常識や多数派の意見、一般的に美しいと思われる風潮に乗るように仕向けられてきた感じがする。
何というか、仮に自分で目標を立てても「それはどうせ正しいものではないから、親や先生に目標を決めてもらおう」と考えるようになってしまうだろう。
自分で目標を決めて、悪い結果になったら、自分で考えて改善していくやり方は、大人になれば確かに頭では理解できるが、子供のころから訓練してこないと、実践することが怖くなる。
とはいえ、目標を立てることを全て子供自身にさせるというのも無理があるのは分かる。多くの子供にはまだ、人生をより良いものにしようという概念が育っていないだろうから、その場合は自分で判断することができないかもしれない。
それにしても、僕が受けてきた教育は良い物だったのか疑問ではある。