彼女がスイスで尊厳死するまで(1)
出会い
彼が小さな会社をオーナーから任されていた頃、二人は都内にある小さなワインバーで出会った。2009年が暮れようとしている寒い日だった。その日の二人はたくさんワインを飲み、たくさんおしゃべりして別れた。
それから暫くたった日曜日の夜中、彼の携帯に知らない番号から着信があった。普段なら知らない番号は拒否するのだが、夜中だったので気になって出たら彼女だった。酔っていた彼は携帯番号を交換していた事をすっかり忘れていたのだ。寒さが一段と厳しくなり、カレンダーは2010年になっていた。
その時から二人の距離は急速に小さくなった。同世代でお互にバツイチの一人暮らしだったから意気投合するのも早かった。春には彼女の部屋で手料理をご馳走になり、秋には一緒に暮らし始めていた。
彼女を狙っていたライバルたちが気づいた頃はもう手遅れで、二人はあっという間に結婚して遠くへ引越して行ってしまった。二人とも40代前半で彼女が一つ年上の姐さん女房である。
発症
二人が作った面白いルールブックの中にゴルフと登山を交互に遊ぶと言うのがあった。休日になると二人はルールに従い、ゴルフ場か山にばかり出かけていた。ゴルフ好きの彼女が山好きの彼に結婚条件の一つとして呑ませたのだ。平日でも会社を抜けて出かける始末だった。
いつものようにゴルフ場に出かけていた2012年秋のある日、彼女のドライバーがまったく当たらない時があった。レギュラーから90台でラウンドする彼女としては信じられない事態らしく、ひどく落ち込んでいた。その後もスランプから脱出する事が出来ない彼女はとうとうゴルフを嫌になってしまい、彼のゴルフセットもその頃から出番がないままだ。
この頃が彼女の病の発症時期であったと知るのは数年後の事なのだが、まさかそんな病気にかかっているなんて誰も思いもしない。彼女は快活で元気そのものだったし、二人の生活は順調すぎるくらいだった。
彼女を苦しめた病気の名前は伏せておくが、運動機能や自律神経に支障をきたす難病であり、顕著な自覚症状として初期の体幹失調がある。病状はいくつかのパターン別れるのだが、彼女の場合はやがて運動系全般に症状が及び、並行して自律機能までも喪失してしまう。食事や排泄制御どころか自発呼吸さえも出来なくなる。それなのに思考や記憶はまったく鮮明なままなのだ。
つまり、意識はしっかりしたまま植物状態に近づいていく病気である。治療法はまだなく、発病から長くて10年間で死に至る。
彼女は2012年秋頃には既に発症していたのだ。
それから1年ほど、二人は病魔に気づかないまま楽しい日々を送ることになる。
新婚旅行
2013年の秋、二人は新婚旅行に出かけた。入籍してから2年半が経過していた。それまでにもアチコチへ出かけていたが、どれも新婚旅行と呼べるシロモノではなかった。およそ2週間かけてクアラルンプール、バリ島、バンコク、ホーチミン、シンガポールを巡った。一つの旅で飛行機に8回も搭乗したのは二人とも初めてだった。
羽田から深夜便でクアラルンプールに入り、そこからバリ島を往復した後はぐるりと一周してクアラルンプールに戻った。ものすごく楽しかった事は、帰国してからの二人の会話や彼のブログからも分かる。バリ島のビーチで物売りおばさんたちに囲まれて逃げられなくなった事やホーチミンで同じスリに続けて未遂された事を彼女はいつも楽しそうに話していた。暑いからビールばかり飲んでいた。
旅から戻って暫くしてから、「バンコクで歩く時に手を掴んでいたのを覚えてる?ふらふらしていたのよ。最近なんだかおかしい。」と彼女が言い出した。体調の変化を感じ取っているような彼女の口ぶりに少し驚いた彼は、「日本とは違う暑さのなか、疲れもたまっていたんじゃない?」と応じたのだけれど、これも病気の進行を示す出来事だったのだろう。
彼はこの時、春の山菜採りの時も彼女が少しふらついて転んだ事を思いだし、心配だから頃合いを見て近くの病院で診察して貰う事に決めた。病気は確実に進行しているのだ。その頃の二人は仙台に住んでいた。
緊急入院
彼女が東京の知人に会いに出かけていた夜、彼の携帯に彼女からおかしな電話があった。彼女は酔ってもいないのに呂律が回っておらず、彼は脳梗塞か何かではないかと思って彼女を急いで迎えに行った。たまたま彼も仕事で東京に滞在していたのだ。
友人の運転で慈恵医大の夜間診療にかけこんだ。ひと通りの診察と処置をしてもらい、翌日の再検査まで入院して様子を看る事になった。少し落ち着いた彼女の言葉はかなり聞き取れるようになっていたが、彼は医師に対し、さっきは本当に違っていたのだと詳しく何度も説明した。
翌朝、脳神経外科の専門医は彼女に対し検査結果を説明しながら、「落ち着いたから心配しなくて大丈夫、退院していいですよ」と言った。彼女もホッとした様子だったが、専門医は彼にあとで診察室へ来るようにこっそり告げて帰っていった。良くない話である事を彼もすぐに悟り、彼女に分からないように診察室へ向かった。
そこで聞かされた内容は一抹の不安を抱えて対峙した彼の想像を超えたものだった。可能性としての病名を告げられ、地元の大学病院で精密検査を受ける必要があると教えられた。その医師の見立て通りであった場合の予後についても聞かされた。
彼はその場で東北大病院向けに紹介状を書いて貰った。
そして、これまでの出来事の辻褄が合った気がして愕然とした。
現代医学では治せない病気。
まだ彼女はなにも知らない。