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kinzaburou
からだの半分が死んでいるということ
腹の下からの、からだが死んでもう長い月日がたった。
原因不明の病気だった、誰かのせいでもない。誰かのせいにもできない。
だから、からだ半分が死んだこの身は、当たり前だった。これが自分にとっての普通。真実。前提。まわりの養護学校の友人たちもそうだったから。
でも、本当は違っていた、当たり前なんかじゃなかった。普通なわけがなかった。下半分が死んだ身を当たり前と、無理やり思い込ませていたのだ。
すたすた歩いて、走って、階段を上ってるひとたちこそが、普通だった。
トイレに行きたくなったら、簡単に出しておわりのひとが普通だった。
生涯の友と出会い、どんな感情もわかち合えるのが普通だった。
かけがえないひとと出会い、からだを深く重ねあい、泣きたいような喜びをわかち合うのが普通だった。
そうして、大切ないのちを、この世界に光らせることが普通だった。
うまれたいのちを愛し、日々迷いながらも、そだちゆく我が子らを慈しむのが普通だった。
私は、そのすべてを、知らないまま、感じることのないまま生きてきた。
もちろん、それらの普通がすべてじゃない。なせなかったひともたくさんいる。そのことに苦しむことを。
でも私は、そのすべてを知らない。わからない。
普通の喜びも、苦しみも、悲しみも、いとおしさも。
はじめから、うばいとられていた。
普通で笑うことも、泣くことも、笑うことも。
これからも知らないままで老い、そして死んでいく。
寝る前、鏡をみた。
感情の消え失せた、青黒い顔があった。
なにか大切な、ひととして失ってはいけない、いのちのそばに寄り添わせておかなければならなかった、なにかを失ってしまった顔。
これから、おまえは、笑えるのか。泣けるのか。
顔は、なにも答えない。
そう、答えを知らないから。
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![篭田 雪江(かごた ゆきえ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33471163/profile_a9dd0b456537df2fa153cc6236a00cb4.jpg?width=600&crop=1:1,smart)