新しいポンコツになるまで
今週はじめから入院して、腎血管造影による治療を受けた。
結論から言うと、ひとつだけ機能していた左腎臓の血管の再狭窄が見つかり、苦労の末それを広げ、幸いなんとか腎機能は保たれた。
そのことを詳しく書こうと思ったが、故あってやめた。そのかわり、私のポンコツのことを書こうと思う。
今年の晩春から初夏の話になる。
長年乗り続けた「おいらのポンコツ」が、とうとう限界を迎えた。
細かい故障を直しつつ、周囲からの「買い替えたら」の声も無視し、だましだまし乗ってきた。だが今年の車検見積りの際、エンジン関係のトラブルが見つかった。修理のための見積りはとんでもない値段になっていた。なにより、直してもまた壊れ、最悪走行中に停まる可能性もある、とまで言われた。
さすがに、限界か。
ディーラーや周囲のすすめもあり、それでも迷いに迷った末、買い替えを決めた。
改めて年式を調べて驚いた。平成十年製造。特別な車ではなかった。当時、手軽なミニバンとして売り出された。でも人気があまり続かなかったのか、モデルチェンジも一度しかせず、いつしか発売停止になった。道路で仲間を見かけなくなってとうに久しい。
やがて内装のあちこちが壊れはじめた。車いすを積み込む時、どうしてもあちこちにぶつかるからだ。そのうち故障しても部品が製造しなくなる箇所も増えてきた。右のサイドミラーは手動になり、ヘッドライトのカバーはこびりついた汚れでくすみ、夜は見えづらくなった。
それでも乗り続けた。ぼろぼろのシートはお尻にフィットしていたし、ハンドルや、手元でブレーキやアクセルを操作するレバーの位置もからだに無理がかからなかった。シートを倒して仰向けになるといい感じに背中が伸び、ちょっとした休憩にいいのも捨てがたかった。
もう、会うこともないだろう昔の友人たちと共に乗り合い、笑い、歌い、話し合いながら長い旅に出かけた思い出も、車内に色濃く残っていた。
お互いポンコツ同士、なんとかいけるとこまでやっていこうな。
大げさだがそんな思いで連れだっていたが、先に道端にへたってしまったのは、車の方だった。
正直、おれの方が早く逝くような気もしてたんだ。
新しい車の納車とポンコツの廃車のため、ディーラーに向かう日の朝、ひとり黙りこくりながら、ポンコツにスマートフォンを向け、何枚か画像を撮った。体調がよくなったら、お前と気ままに旅に行こうな、という約束も果たせなかった。
そんな日々と重なるように、私のからだも倦怠感や高血圧、靴も履けないような脚のむくみに悩まされはじめた。病院外来での血液検査の結果も思わしくなく、結局、最初に書いた治療を受けることになった。
この治療の経過次第では、腎機能が停止し、透析になりうる可能性があるのは、入院前からさんざん聞かされていた。今のこのぼろぼろのからだとこころで、透析人生に耐えられるのか。正直、自信などなかった。今だから言うが、もし透析になったら、書くことに区切りをつけ、残りの人生は静かに枯れながら過ごしていこうとさえ考えていた。
それでも治療を受けた。私にはどんなに流血をしても、あと数年は生きなければいけない理由がある。そのために腎臓には、無理やり狭い場所をこじあけられてでも、動き続けてもらわねばならなかったからだ。
幸い、腎臓は生き延びてくれた。快方へと向かうよう、技術と熱意をもって治療を施してくれたT医師には、感謝の念しかない。
明日、退院となる。でも、気持ちに晴れない部分がかすかにある。帰っても駐車スペースにおさまっているのは、あのポンコツではなく、ぴかぴかに赤く光っている新車だからだろうか。
と、ここで首を振る。せっかくからだがよくなったというのに沈んでいてもしかたない。こうなったら新車をさんざん乗り回してやろう。納車後もからだの不調で家に閉じこもる日々だったから、ろくに乗っていない。済ましたい用事もたまっている。
なにより、あのポンコツと果たせなかった約束を、かわりに果たしてもらわないと困るのだ。とりあえず、これからは冬景色がきれいだ。ふたりで誰も知らない雪が彩る景色を、一緒に探しに行こうか。
そして、願わくば。
あいつに代わる、「新しいポンコツ」となるまで、共にへろへろになるまで、走り続けてみたいものだ。