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HANIOKAがイエスを祀る祭祀場であるなら、斎宮との関係のフェニックスコードがあるはずと調べると・・京都御所と斎宮跡とHANIOKAは二等辺三角形を画く
HANIOKAがイエスを祀る祭祀場であるなら、斎宮との関係のフェニックスコードがあるはずと調べると・・京都御所と斎宮跡とHANIOKAは二等辺三角形を画く
このことは、偶然で済まされない。少なくとも最澄、空海が生きた平安時代初期まではHANIOKAで祭祀が行われていたと私は推測します。そして、空海の母も斎王としてこの国の初代大王、大国主命=イエス・キリストに感謝の祈りを行っていたのではと思います。HANIOKAの庭の片隅には空海の母の墓に手を合わす小さな祠もありました。イエス・キリストの墓を教える方位石もありました。又、比叡山延暦寺根本中堂から薬師如来に手を合わすと、見事に卑弥呼の墓が重なり、卑弥呼の墓から5㎞地点にイエス・キリストの墓が重なり、そしてもう5㎞行った先に空海のお母様の墓が在りました。そしてそのすぐ横に空海の妹の墓と、妹を娶った最澄の墓もありました。
HANIOKAの庭の片隅の祠は、この三人の御霊に手を合わすようになっていました。この3人の墓を造ったのは、空海であると私は思っています。
その三人の墓がある峰山高原に、空海が来ていたと言う伝承も南小田の人から聞いています。
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