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ヨーロッパの城門と日本の城門〜シリーズ 鍵の歴史15〜

・ヨーロッパの城門
#ヨーロッパ#城 では、「#城壁(#内城壁 と #外城壁 )」の #出入り口 の両側に作った、一対の #U字型#塔 で城を #防衛 します。

この出入り口は、#橋・#扉・#格子戸 などを巧みに組み合わせて作られており、これら全体をまとめて「#城門」と呼びます。

なお、出入り口にすぎない城門を #堅牢 にする目的は戦争に備える為であり、城壁から比べると城門は脆弱であり、敵から最も攻撃を受けやすい場所でした。

さて、城門の2つの塔の間には、一連の #石造#アーチ があり、#通路 の上には1つの #部屋 があります。

この部屋からは「#落とし格子」という、頑丈な #木造り の格子を降ろせるようになっており、#両サイド の壁に掘られた #溝 へ落とし格子がはめ込まれていて、#上下 させる事が可能です。

なお、この落とし格子の垂直の #格子棒 (縦の棒)の下端は尖っており、#鉄 の #キャップ が被せられていて、より落とし格子の表面を頑丈にする為、に鉄が被せられています。

そして、落とし格子の先には、#鉄帯 で補強された一対の重い #木の扉 があり、この扉には内側から閂が掛けられています。

・日本の城門
#日本の城門 は、#ヨーロッパの城門 ほど複雑な #仕組み が備わっているわけではありませんが、#平時 においては #人#馬#通行 、戦争時においては堅く閉じて城を守る必要があったという点では同様です。

例えば、#小田原城 の城門は「#銅門(あかがねもん)」と呼ばれ、#天守閣 に通じる #登城 ルート上に設けられた #二の丸表門 で、扉の飾り #金具 に銅が使用されていた事から、この #呼び名 が付いたと言われています。

なお、大きな扉の隣に小さな扉があり、この扉から一人ずつ通過する事が可能であり、この扉にも内側に #閂 が備わっています。つまり、小田原城では状況次第で門を使い分けていたという事がわかります。

#鍵の歴史

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