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【小説】いつか扉が閉まる時(9)


「藤井先生は図書館ソフトに日誌を遺していて、亡くなった後それを読んだの。100%司書でいたかったって。でも兼務しないといけなくなって、最後に疲れたって書いて」

 次の日死んじゃった、と口ごもる。

「その日誌は読んで良いものなの?」と母が心配そうに聞く。

「誰でも見られるカウンターにあったから…多分」と自分の中の小さな不安を吹っ切ってから、

「誇り持って仕事してたみたい。勤務じゃない時も図書館のこと考えてたって。私もあんな風にやりがいを持って働きたいんだ」

「それは素晴らしいけど危険も伴う気がする。仕事依存というか…」

「やりがいと依存は違うよ」私が反論すると、母は続ける。

「私の学校にも司書がいるけど、うちの市は県と違って会計年度任用職員だから身分は不安定、勤務時間設定が短すぎるし研修や出張も自費でしか認められないんだって。何より仕事では食べていけないから実家暮らしの女性ばかり」

「雇用条件が良くないんだ」

「そう。私だったらどんなにやりがいがあっても、あんな雇用条件なら別の仕事探すだろうな。実際そんな理由で司書を辞める人が多くて」

 そんな心配から、私にも安定した道を選んでほしいのか。

 結局、せっかくの梅の綺麗さも半分くらいしか味わえなかった。

 


 母とスーパーで買い物をして一緒に食事を作って食べてから、さっきの話の続きになる。

「県立高校が、生徒数少ない学校を再編しているのは知ってるよね」

 新聞でその件が記事になっていたのを思い出す。

「県の予算が過去最大になっている反面、生徒数が減っているという理由で教育予算がかなり減らされているの。
 学校再編はそのためだけど、そうするといずれは職員も余るでしょ。

 全国的に問題になっている非正規教員のこともそうだけど、将来人が余らないように退職者の補充をせず、代わりの誰かに事務の仕事をさせる流れ、それが藤井先生たちの場合じゃないかな。県立高校の司書は教諭じゃなくて行政職だから」

「でもそのしわ寄せで藤井先生はあんなことになったんだよ。いずれの心配のために今の人を犠牲にしてるってことだよね?」

 思ったより強い口調になった。母が私を心配そうに見たので少し息を整える。

「それに新聞では先生の数がかなり足りなくて大変だって書いてあったのに教育予算が減っているの?それで一体誰が幸せになれるの?」

「…2000年代から国からの教育費がどんどん削減されていて、その上、自治体の正規公務員数を減らすと地方交付税が増えるみたいな法律もあって。だから…もしかしたら、これからもこんなことは起こるかもしれない」

「どうして」

 母はやるせないような顔をして、小さく微笑む。

「どうしてだろうね」

 母にも答えはわからないのか、それとも答えたくないのか。

 学校の先生も私たちには颯爽とした姿を見せているけれど、体調が悪そうでも一生懸命授業をしてくれる。こちらが心配になるくらい先生たちは休まない。
 遅くまで残っている先生、朝早くから来ている先生たちの噂を聞く度に母の姿と重なる。

 子供だった自分が、母が仕事で家にいなくて寂しかったことを今も時々思い出す。

 そのシステムは、一体何人の人たちを不幸にしているのだろう。

「藤井先生はあの文を読んで辛かったって書いてた」

 先生は自分の悲しい未来を予感したのだろうか。

「あの文?」

「人事部から来た文」

 母はその文を見たいと言った。 



 私はパソコンを立ち上げ、母に日誌を見せた。
 「日誌がここにあるなんて、誰も思わないわね」と言いながら、母はいちばん新しいところから見ていった。

 そして該当の文をじっくり読んだ。
 しばらくして、口を開く。

「県立高校の事務の知り合いがいるけれど、通常の人事異動は希望を取って面談するのが普通らしい。司書だけれど事務室勤務に替わりたいとかその逆とか、そういう意向を考慮してくれるって。すべての希望がかなうわけではないようだけど」

「これまでのやり方と大分変わったってこと?」

「そうね、これまでのやり方を無視して急に本人の承諾なしで進めたのは乱暴かもしれないね。企業によってはこんなのも当たり前かもしれないけれど」      
 しんみりした声で母が言った。

 学校司書は校内で一人です。味方になってくれる人がいても、同じ気持ちになってくれる人はいません。それは私たちが教諭や管理職の大変さを、想像できるけれど同じ気持ちになれないのと一緒です。

 その立場に立ってみて、はじめてわかるのです。想像には限界があり、実際はもっと過酷です。

 だから校内で本当の司書の理解者はいません。

 …藤井先生が書いた文。

「自殺じゃないかって噂があったの。ホームから転落したって聞いた時」

 母の背に向かって独り言のように言う。
 
 母は私を見上げて、確認するように聞いた。

「藤井先生の様子はどうだった?ずっと暗い顔をしてたとか、急に痩せたり顔色が悪かったことはあった?」

 1ヶ月前の、亡くなる前の先生を思い出してみる。

「…どうかな。私たちの前では明るい、いつもの先生だった気がする」

 母はまたパソコンに向かった。脳内で藤井先生の日誌と会話をしているようだった。

「本当のことは、今となってはわからないけれど」

 目が疲れたのか目頭を押さえながら母は立ち上がる。

「私は違うと思う。当時のダイヤ改悪で、うちの学校でも登校を早めたり、電車通学をやめてバスで来る生徒がかなりいたの。保護者の方が心配したのね、柵の無い混んでるホームはかなり危険だったらしいから。悲しいけれどただの事故だったと思う。何より」と私を見る。

「図書館が物置になっていくのを生徒に見せたくないから頑張ってた先生ならなおのこと、あんたたちを悲しませるようなことはしないんじゃないかな」

 確信を持って放たれた母の言葉は、私の中にじんわりと響いた。

 たとえ同じ立場ではなくても。
 本当の理解者ではなくても。

 寄り添おうとしてくれる人がいるとやっぱり心強いんじゃないかな、藤井先生。 

 そして、この人が私の母であることに、あらためて感謝する。


 (続く)