彩の求める美しさ=「他者」と「数字」
『明日、私は誰かのカノジョ』の中で彩はずっと苦しんでいます。「美しくなりたい」というこの社会で共有された価値観を突きつめているだけなのに。
どうして彩は、そして私たちはそれに苦しんでいるのでしょうか。
今回は「美しさ」に限らず「やせたい」「認められたい」といった苦しみを抱えている人たちに向けて、文化人類学者の磯野真穂さん著の『ダイエット幻想』を引用しながらその問題を紐解いていきたいと思います。
この本は文化人類学者の磯野さんが考えた、“やせたい気持ちを否定せず、やせたい気持ちとうまく付き合う”ために書かれた本です。ダイエットや痩せるということについて書かれていますが彩が陥ってしまった「美しくなりたい、整形したい」という気持ちにも通ずるものがあると思いまして、この中で指摘されている今の私たちの抱えた問題について考えていきます。
【自分と他人の無限比較】
この社会では承認欲求の否定と加速が同時に行われているため自らの個性を探すほど他人と自分の無限比較に陥って苦しむと磯野さんは述べています。
明日カノの漫画やドラマを見た方ならご存知でしょうが、彩は他者(他の女性)との比較を常にやり続けている人物として描かれています。自分がブスと傷つけられた過去が発端だったとはいえ、それも過去の自分よりどれだけキレイになれたかという比較をし続けている、ということでもあります。他者と自分の違いを認めるということ、過去の自分を赦すということ、そういったことが行われなければこの気持ちがおさまることはないでしょう。
そして彩が恋人の光晴に自分のことを伝えられなかったのもこの「私は私のやりたいことをやっているだけ」という思いにとらわれているからです。承認欲求は高じすぎると他者との共存ができなくなってしまいますから美しさに注いでいる自分の力をできるだけ少なく見せようとします。光晴や友人夫婦という「社会」に対して、心の中でどれだけ叫んでも決して表には出さなかったように無意識という名の社会的抑制が働き続け、それもかなりの苦しさのなっていたと感じます(だからそれを発散できる翼や雪には素直になれた)。
そう考えると一見彩は自分の言いたいことを言いまくれる気の強い女性に見えますが、本心を語った時って心の中だけか、いよいよ我慢の限界を超えた時だけだったんですよね。こういった不満を小出しにできない人は最後の最後で爆発してしまうんですよね。顔を変えても整形前の「おどおどして自信のない自分」が「言えない今の自分」を今でも作り続けている。どれだけ顔をかえ美人になっても気持ちや性格が過去の自信のない自分のままであることが、「まだまだ(整形が)足りない」という思いから抜け出せない枷になっています。
【承認されたいのに他者が消える】
世界から他者が消える。これが彩が桧山や他者に対してお金を騙し取っても罪悪感を感じない理由です。犯罪者にとっては他者という存在が消え、自分にとって都合のいいもの(お金や性欲のはけ口など)に置き換わる。だから心が痛まない。痛める必要もない。
そして数字で自分が、世界が満たされる。彩にとっての数字とは整形や美容のお金や時間です。どれだけの種類をこなし、何回行うか。どれだけの労力を注ぐか。他者が「その必要はない」と言っても聞かない。必要なのは承認であり数字です(だからコールセンターではなくレンタル彼女やキャバで働く)。
【良き繋がりを求めて】
では自分が他者に呼びかけられることで始まるという事実を認めつつ、承認で満たされないようにするためにはどうしたらいいのでしょうか。そこで発生する問題について磯野さんは語っています。
狭い価値観と関係性の中だけで自分の価値を構築してしまう。
他者との繋がりをどのように構築するのか。どういう関係を築いていくのか。
彩編でも答えはありました。
先ほども書きましたが、翼や雪のために動いてる彩の顔つきって、普段の彩と違うと思いませんか?
「他者とどう生きるか」が問題なのです。
詳しく知りたい方は、どうぞ『ダイエット幻想』を読んでみてください。
他にも「私たちはどう生きるか」の知恵が備わった著作や人物、関係性は沢山あります。『明日カノ』という作品が好きな人たちとの繋がりの中で、共感や苦しみを分かち合うこともできるでしょう。
願わくばあなたが自分自身の生き方や苦しみを語り合い認め合う繋がりが見つかればと思います。
そのためにこの「明日カノ研究会」も役立てていただけたらと思います。
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