【雑感想】ポアロ(ベネチア)、ストールンプリンセス、3 idiots
それぞれ書くつもりだったけど書いてないうちに次の映画観に行っちゃって、あーって気分になるので雑感想で書いてしまう。雑感想の時はあらすじを自分で思い起こしながら書いているので、本当に色々雑なので気にしないで欲しい。
ってことで書く映画は以下。いつも通りネタバレを含むので注意されたし。あと単体感想よりも脱線多めになるのも許してほしい。
名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊
探偵を引退して余生を静かに暮らす決断をしたポアロ。そこにミステリー作家である友人が訪ねてくる。ベネチアのある曰くつきの館で行われる降霊会に一緒に参加し、その嘘を見破って欲しいと言うのだ。強引に巻き込まれてしまうポアロ、そして館で起こる不可思議な出来事、殺人事件、密室、ここに舞台と謎と探偵が揃った。孤独な探偵がメモを取り、状況を整理し、あるべきものをあるべき場所に置き直す。孤独な探偵の歩みが止まることは無い。
ベネチア行きて~~~。ポアロといえば有名どころ中の有名探偵である。江戸川コナン、シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、日本ならそういう順番になるんじゃないか、いやどうだろうごめん適当。アガサ・クリスティが生み出した彼は、世界で見れば現代で最も著名な探偵の一人に数えられるだろう。原作から飛び出して長年色んな形で作品化しており今作も現代版ポアロシリーズとして近年映画化されているもので、オリエント急行、ナイル殺人事件に続く3作品目になる。原題はハロウィーン・パーティ。
少し余談が入るのだがミステリーは長年苦手だった。探偵がいて、事件が起こって、犯人を捕まえて終わり。奇想天外なトリックはあれどそこに予想外でまったく未知の衝撃は無いと思っていたから、心から楽しめている自信がなかった。過去形なので今は当然違う。
何故変わったかというと配信者であるk4senさんのマーダーミステリー企画をいくつか見ているうちに、ミステリーとは「舞台」「解答者」「謎」を軸にした人情劇フォーマットだと気づいたからだった。完成された物語の一つの形だ。犯人を捕まえて終わりっていうオチがメインなのではなく、まったく事件が起こるようには見えなかった状況の舞台説明から、なぜ事件が起きたのか、どうやって事件を起こしたのか、それらの謎を如何に物語として帰着させるか(解決だけではない)という一連の流れが大事なのであって、ある意味で結は決まっているが起承転にこそ味わいがある。言ってしまえば異世界転生フォーマットと似たようなもので、これとこれとこれを用意して、ここがこうなれば物語の形になる、という部分がある。
私はこれに気づいて、ある意味でミステリーとは詩であると思った。舞台により情景を与え、登場人物で情念を与える。そして五七五や短歌のように(自由律は許されながらも)決まりごとの下でそれらは表現される。そうやって考えるうちに私はミステリーが楽しめるようになった。
ポアロの話に戻る。上記の理由でミステリーはほとんど触れてこなかった人生だったのでポアロシリーズはバチバチに初見なのだが、ベネチアが舞台って時点でもう良いな~~ってなった。この街ズルいよね。もう情景が良すぎる。しかも館でハロウィンで降霊術でって今日では王道も王道過ぎてビビっちゃうよって感じなんだけど、それがまたすごく良かった。王道の美しさ。
紅茶による幻覚作用だろうなとか奥さんが犯人だろうなとかは読めていたので、事件への驚きはなかったのだが物語が理路整然としていて鮮やかである。
子供が父親のために脅していたのあたりは読めてなかったので、なるほどね!となったしそのお金を使うことへの罪悪感は……ってモヤりにもアシスタントの助手二人の渡航費に使って、せめてもの贖罪をという形が、もう余すところがない!
残る謎が綺麗に無く、ほろ苦さと心地よさが同居している。本当に清涼な気持ちで映画館を出た。これぞ名作って感じだ……。お見事。
ストールンプリンセス:キーウの王女とルスラン
ウクライナ発のアニメーション映画。役者のルスランが城下町でお城から脱走してきた王女様と偶然知り合う。二人は惹かれ合い、逃避行を楽しみながら一晩共に過ごすが、王女様を悪い魔法使いにさらわれてしまう。騎士に憧れるルスランは絶対に助けに行くと約束した王女様を助ける決意をする。悪い魔法使いはルスランが演じていた舞台の登場人物そのもので、一緒に旅をしている劇作家のレスターから何処で仕入れた話なのか問い詰め、手掛かりを持つ魔法使いの家に行くことに……。
という感じで進んでいくのだが、絵本っぽさがあるというか、良い意味で対象年齢は低い。全体的にディズニーっぽさはあって映像のクオリティは決して低くはないが、首を傾げてしまう箇所がありはする。
たぶんおそらくだが、レスターは元々チェルノモールの世界に送り出してくれた魔法使いの弟子という設定だったのではないかと思う。なんなら元々ルスランはいなかった可能性がある。
気弱で修業から逃げ出して劇作家をやっていた弟子が、それでも本気で劇作家を目指すようになり、女性に恋をして、愛と現状から踏み出す勇気を得るためにもかつて逃げ出した魔法の世界に立ち向かう的な流れだったら全体的な流れが自然だな~と思うのだが、たぶんレスターよりルスランの方が物語を引っ張る力が出てしまったというか、やっぱイケメンって必要だよねになったのか、現場のリソース的な問題なのか、方針転換があったんじゃないかな~と観ていて感じた。
他にも鳥とネズミもかつて立ち向かった勇者で良かったのでは~とか役者と劇作家とお姫様っていう設定はマジで良いなとか、ファラフも実はもっと格好良くできる展開あったんじゃないかとか、この話は話自体のクオリティというよりは、ここがこうなったら……とか、実はこうだろ……のような、妄想に翼がだいぶ拡がる作品だったので、私としては結構楽しめた。あと普通にハッピーエンドなので幸せな気持ちになれる物語ではある。
作品以外の部分としてウクライナの情勢には本当に心を痛める次第ではあるので、創作者含む戦争を望まない人々が戦火の元にいると思うと心から悲しい。特別なことは出来ないが応援したいと思うし、平和な日常が一刻も早く訪れることを願っている。
3 idiots:きっと、うまくいく
エンジニアになるために貧しいながらも親の期待を一身に背負い大学へと進学してきたファラン、ラジュー。天才的でどこか違う雰囲気を持ちながらも先生たちに反発し続け落ちこぼれ扱いのランチョー。3人は大学で知り合い、交流を続ける中で心からの親友となる。ところが大学を卒業しランチョーは2人と、恋人の前からすらも姿を消してしまう。何故ランチョーは消えたのか、大学での日々は、交流は、彼らに何をもたらしたのか。
「3 idiots」は原題で、邦題が「きっと、うまくいく」となる。インドではカースト制度があるため就ける仕事が生まれながらに決まっている。ただ新興の仕事というのはその限りではなく、エンジニアはその代表的な仕事の一つだ。なので生まれる前から定められていた人生の逆転を狙うためにエンジニアを志し、親もまた子に重責を担わせる。もう本当にインド映画はこういう出自由来の価値観が重たすぎて、私は日本生まれだから真に理解できなくて申し訳なくなる。感想を語るのが非常に難しいのだが、それはともかくとして痛快な展開もミステリーな構成もミュージカルパートも魅力的なキャラクター達も超面白かった。
旧Twitterでやたらとバズっていた印象のある映画でハードルはなかなかに上がっていたのだが、全然問題なかった。思ったよりも3 geniusだったがそれぞれのキャラクターが苦悩と研鑽の下で才能を開花させたが故だと思うのでそこは良い。
オチ的にはチャトルにざまぁする形で終わるのだが、ランチョーが態度に表さない通り、というより変わってないなと言いつつフラットに接する通り、チャトルもかなり立派だなと思った。勝ち誇って帰る直前にネタバラシをくらい、プライドよりも家族のために最速で頭を下げる姿はかなりグッときた。えらいよ。チャトルが変な劣等感さえ持たなければ素直に仲良くなりそうだ。
なにより「Aal Izz Well」の曲がめっっちゃ良い。インド映画といえば近年ナートゥが流行ったようにミュージカルパートの魅力は欠かせないが、「Aal Izz Well」相当良かった。日本だと概ね洋楽と邦楽、あとはクラシックくらいか、それらが音楽として選択されるが国が違えばリズムも違うし選択される語彙も違うので、聞いていてとても面白い。インドならではの詩的な比喩表現がリズミカルな音楽とダンスで彩られる様は明確に文化の違いを感じながらも古来より歌い踊ってきた人類の共通点を浮き彫りにする。
人生の意味とは人類がよく考える命題ではあるが、インドくらいの身分社会で扱われるとまた重さが違い過ぎて面白いなぁというのを実感した。小説もドキュメンタリーも映画も音楽も作る国が違い受け取る国が変われば伝わるものも伝わり方も乗算で増えていく。積み重なる人々の営みが形作る文化と連綿と続く歴史は絶えず拡がり続けて欲しいものである。楽しいので。
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