閑古錐は、ニュートラル
茶道教室の男性アシスタントに以前、何度か、
「蜻蛉さんの手は、茶道向きの手ですね」
と言われた。私には、その言葉の意味が理解できなかった。
先日、施設に入れた義母を励ます意味で、娘夫婦の家で義母を正客に、私がお点前を披露した。義母も娘夫婦も私の盆略手前に、感激してくれた。私のお点前の様子を娘婿が、スマホの動画で撮影してくれた。
黒の着物姿でお点前に励む私の姿を、スマホの小さな画面でチェックした。その時、
「茶道向きの手ですね」
の一言を思い出した。
スマホの小さな画面の中でお点前を披露する私の手は、年相応にシワがれていて、無表情で無防備な手だと思った。
その時、岡倉天心の「茶の本」の一節を思い出した。
「新しい物は、茶筅と白い茶巾だけ。あとは古い方がいい」
その一節からすると、確かに私の手も六十有余年、使い古された手である。茶席の禅語にある「閑古錐」、そのものである。
九十六歳になった義母も、まさにそのもの。私と不仲だという記憶はもちろん、私が長女の娘婿である事さえ、彼女の記憶から消えていた。これも「閑古錐」。
義母と私は、初対面の二人としてニュートラルな人間関係が始まった。余命いくばくかの時間ではあるが……。
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