Amazonのすごさの一端を見せつけられた30歳の編集長
本人も忘れてしまっていた雑誌。当時、30歳だった私が編集長だったので、名前の検索で出て来たんだと思います。背表紙に「編集人」として私の名前が入っています。集英社の「月刊PLAY BOY」や講談社の「月刊PENTHOUSE 日本版」よりも古い男性総合月刊誌です。苦い思い出がいっぱい詰まった雑誌です。良きにつけ悪しきにつけ、私の人生の「一里塚」に、間違いありません。
当時、『写真報道雑誌』が雨後の筍のように沢山発刊されていました。私は、そんな雑誌の副編集長でした。その時に、当時編集部に出入りしていた印刷会社の営業に目をつけられて、ヘッドハンティングされて、前述の雑誌の編集長に就任したのでした。
編集長という職は、マイナーな雑誌ながらも制作費として毎月一千万円超のお金を決済します。小さいながらも、その利権にあやかろうと絡んでくる人間もいます。まだ若かった私は、若いのにどうして編集長に就任できたのかを理解できていなかったのです。つまり、誰かの傀儡政権だったわけです。そんなことも知らずに、それでも血の小◯をしながらも、頑張りました。
その後、小学館の週刊女性セブンの記者に、復帰。この編集部に復帰した時、美人の担当デスクに言われました。
「本来、再採用はないんですが、あなたは特別」
と、採用されたのでした。編集長は、私が契約記者として所属した前回の、担当デスクだった方でした。締め切りの日の夜は、彼は頭にティッシュ・ペーパーの箱をかぶって編集長のデスクの周りを歩き回って指示を出す、そういう人柄の人でした。
彼は確実に『私の人生を変えた5人の男』の1人でした。
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