「典論」の一文に、狼狽える
「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」(典論)
という文章に出くわしてしまった。
「出会った」と言うよりも、やはり「出くわしてしまった」の方が、この一文により困惑している気持ちが表されていて、しっくりと来る。
この「典論」(てんろん)という文学論は、かの三国志の偉大な武将である曹操の息子であり、魏の初代皇帝である文帝こと曹丕が、書き残した文学論である。
最初に挙げた一文の意味は、いたって素直である。読んで字の如し。
「文章は国にとって重要な事業であり、永久に朽ちることの無い盛大な仕事である」
私の浅薄な知識で文帝の人柄から推しはかるならば、一文の「文章」とは「史書」の様な歴史を書き残した記録文をメインとし、楚の屈原が書いた自叙伝詩「離騒」の様なものや白居易の漢詩集「長恨歌」と言ったようなものまで、含んでいるのだろう。
陳鴻の「長恨歌伝」によれば、白居易、陳鴻、王質夫の三人が仙遊寺に集まった時に、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のことを語り合った。その場で漢詩集について提案されたようだ。
王質夫が、
「夫れ希代のことは、出世の才の之を潤色するに遭うに非ずんば、即ち消没し、世に聞こえず。楽天は、詩に深く、情に多き者なり。試みに為に之を歌はば、如何と」(世にも奇妙な出来事は、一代の傑出した才人の手によって潤色されるのでなければ、時と共に消滅してしまって、世の中に伝わらなくなってしまう。楽天、君は詩に造詣が深く、情に豊かな人だ。試みにこの出来事で歌を作ってみてはどうか)
と言われたことをきっかけに「長恨歌」を書いたと言われる。
この逸話で重要なのは、作家の資質をそれとなく述べているところである。
さて、「不朽の盛事」である文章を書くのに相応しい人間とは「一代の傑出した才人」で「詩に造詣が深く情に深い」人物でなければならないとある。
これでは全くもって、私には当てはまらない。
しかし、私は「未だ至らず。されど心、これへ向かう」が信条である。ゆえに簡単に、看板を下すわけにはいかない。