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禅の視点から見て、四角い茶碗「ムキ栗」は人生の役に立つのか?

 長次郎の黒楽茶碗の中に、四角い茶碗があるそうだ。銘は「ムキ栗」。遊び心で造ったとしか思えないが、そうではないらしい。初期の長次郎の楽焼茶碗は直接、利休の指導を受けて作られた。中には遊びで造られたものがあるかも知れない。しかし、後世にまで恭しく扱われて残されているのだから、何か意味があるのかもしれない。逆に、ただの遊びで意味がないのかも知れないが……。

 実川浩信著の「利休、織部、遠州の茶碗ー楽焼茶碗ではない」に、

《長次郎の初期の茶碗は、禅と結びつくのである》 

 とある。「ムキ栗」の「□」は、禅とつながっていると言うのである。氏によると、美濃出身で江戸時代中期の臨済宗古月派の僧侶、仙厓義梵の墨跡に「○△□」(※作品は、出光美術館所蔵)と書かれているものがあるとのこと。安土桃山時代と江戸期との違いはあるが、禅の教えが時代と共にコロコロ変わるとは思えない、とあった。なるほど、と思う。利休の指導の元、長次郎が作り上げた黒楽茶碗「ムキ栗」は、禅の教えを具現化したものと考えていいだろう。

 そうなると、関連して織部の「沓茶碗」が気になってくる。茶碗のひしゃげた形は「神主の沓」だと言われて来たものが、実は禅の教えの「△」を茶碗で表したものである、と考えることができる。さらに、織部焼きに多用される○や△や□の絵柄は、禅の教えを表しているものとも、考えることができる。まさに、織部は師の教えである「茶禅一味」の教えを受け継いでいたのだ。 

 師弟関係で大切なことは『守破離』であると聞く。師の教えを守り、師の形を破壊し、そして、師から離れて独立していく。古田織部は利休に言われた「人と違うことをせよ」という教えをしっかりと守り、独自の茶道を作り出した。一見、師である利休から全く離れたように思えるが、実は、師である利休の教えをしっかりと守っていたという律儀な弟子であったわけだ。

 お話は、立派なのだが。では、四角い抹茶茶碗は、私の人生にどんな影響を与えてくれるのか。どんな楽しみを与えてくれるのか。そんなことを考える事自体が不遜なのかも知れない。お話は有難いのだから、そのままありがたいと受け入れてしまえば済むこと。しかし、それだけでは、わたしの疑問は払拭出来ない。

「それって、どうよ?」

 と思ってしまう。四角いお茶碗を目の当たりにして、「これはありがたい禅の教えを具現化したお茶碗なのですね。ありがたい」と、一服いただいて、「さすが、特別なお味がいたします」と、私は言えない。

 こんなだから、「茶道の奥義」に到底たどり着くことはできないのかも知れない。ひねくれた私を、どうのように律すれば、まともな人間になれるのか。悩みは尽きない。 

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