ついに宗達が、私の頭の中で人と話し始めた……
まだ薄暗い朝の時間。駅に向かう公園の道を歩いていると近頃、私の頭の中で俵屋宗達が誰かと話し始めるのである。二人の会話は徐々に明瞭な声音となって聞こえてくる。
ついにこの段階に辿り着いたのである。この一年あまり、私が辿って来た道は間違っていなかった様だ。
長谷川等伯の原稿が仕上げに入った頃から、私は俵屋宗達の資料を読み始めていた。彼これ一年あまりになる。半年あまり経った頃、等伯の幼少期のイメージが朧げながら浮かんできた。しかし、それ以降、宗達の姿は私の頭の中で明確な像を結ぶことはなかった。
物語のキーパーソンを本阿弥光悦から、徳川和子姫に代えた。すると宗達本人ではなく、彼の周りの人間が動きはじめた。その一人は、意外にも千利休の孫、千家3代目の宗旦だった。
さて、この千家3代目宗匠の宗旦は、どうなったら俵屋宗達と相見えるのか。皆目見当がつかないまま、更に資料を読み進んだ。読み進むに連れて、これまで抱いていた宗達のイメージが増幅して明確に成り、時には既成の概念を覆してしまうまでにいたった。頭の中が、彼と彼を取り巻く仲間たちのエネルギーで核融合反応を起こしかねない有様になって来た。その頃からである。
俵屋宗達が私の頭の中で、時代を彩った人物たち一人一人と、対話を始め出したのは。
ある時は、京の都の清水坂の道端で。ある時は千家茶室で。またある時は鷹ヶ峰村の本阿弥光悦宅の茶室で。こうして少しづつ、彼の生涯を形作って行ったに違いない人物たちと、語り始めた。
時代のエネルギーが宗達という素材を、あれやこれやとこねくり始めた。それは一定方向に回転しているロクロの上で形作られて行くのではなく、手捏ねであっちを凹ませ、こっちを盛り上げ、と手探りで作り上げて行く楽茶碗の様である。
連綿と途切れることなく流れている時代のエネルギーは、真の宗達の姿を、私のPCスクリーンにしっかりと浮かび上がらせてくれるのだろうか。
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