天 職
最近は、山登りに行かなくなった。一昨年、ホームグランドの丹沢山塊の日帰りコースを登山した。その山行が、最後になっている。往復9時間のコースに体力の限界を感じ、6時間のコースにショート・カットして、辛くもバス停にたどり着いた。
僕にとっては、東京のホームグランドの山塊だ。というのも、大学時代に「ワンダー・フォーゲル部」の新人養成合宿で登った山塊である。以後、社会人になった頃、子供が生まれた頃と、人生の節目には大概、登りに来ていた。
僕の登山歴のスタートは、高校2年生のときの石川県の「白山登山」に始まる。校内で希望者を募集していたので、それに応募した。山行は、教員に引率されて登った。夏休みの小雨の日だったが、鮮明に覚えている。白山の頂上まで行ったが、ガスっていて景観は白い空間しかなかった。しかし、経験はしっかりと心に刻まれた。
大学時代、「ワンゲル」に籍を置いていた。山の基本は、ここで教わった。このときの経験が、取材記者の仕事に大いに役立った。最低限の生活用具があれば、いつでも、どこからでも地方取材に旅立つ自信につながって行ったからである。さらに、最悪、どこででも寝られるという自信にもなっている。
20歳台半ば、週刊女性セブンの取材記者を始めた頃、
「これは俺の天職だ!」
と確信した。①いろんな人に会って話を聞く、②日本全国、いろんなところへ取材で行ける、③最低限のアイテムで旅に出る、④マスコミで文章を書く仕事。以上の4点から、一気に仕事が大好きになった。以後、色々と山あり谷ありではあったが、概ね満足した取材記者の生活を送れた。その間に、妻を持ち子供が生まれ、そして、最後は、また一人の生活になったが。概ね、大学時代に思い描いていた人生設計のままに来ている。あとは、作家先生になる夢だけが、いまだに達成されていないのだが。
大学時代は「ジャーナリストとして、オピニオン・リーダーになる」と決めていた。取材記者を初めて1年ほどした頃に
「俺は、小説家になる」
と、宗旨替えした。報道には限界があるが、小説は、報道を超えることが出来ると、感じたからだ。
日々、目標に向かって近づいていることを実感している。執筆している時、資料を集めている時、さらに構想を練っている時、全ての時間が全身全霊を活性化してくれていることを感じる。
あとは、ゴール・インのタイミングの問題だ。たとえそれが、「没後」になったとしても、死の瞬間まで書き続ける。作品の評価が死後になろうがなるまいが……。
創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。