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季語は「月草」、お茶杓の銘は「うつし心」で、どうでしょう
いで人は ことのみぞよき 月草の
うつしこころは 色ことにして
(読み人知らず)
次回の茶道のお稽古まで、あとわずか。今度は、どんなお茶杓の銘にしようかと連日、通勤の地下鉄の吊革につかまりながら、あれこれと思案をめぐらしている。
五月は、初夏。古今和歌集では「夏」。しかし、夏の和歌は「郭公」を季語にした和歌ばかり。「郭公」と書いて「ほととぎす」と読むようなのだが私は、どうも好きになれない。イメージが広がらない。その場で立ちどまって、思考回路が停滞してしまう。
そこで「夏」を離れて、古今集の中を探してみた。最初、「読み人知らず」の和歌に目が止まった。
いつわりの なき世なりせば いかばかり
人の言の葉 うれしからまし
(読み人知らず)
言葉通りにとらえれば、嘘のない世の中ならば、どれほど人の言葉が嬉しく感じられるでしょう、と言う感じ。しかし、古今集の掲載欄は「恋歌」であるからして、句の中の「世」は、慣習にならえば「恋愛」の事である。本来、千利休の侘茶では和歌の中でも「恋歌」を嫌う。うちの先生も、
「うーん。今の句はプレーボウイの在原業平の伊勢物語からね」
と、あまり、いい顔をしない。よって恋歌系は避ける。私は先生の喜ぶお顔を見ることを一番の目標にして、お茶杓の銘を考えている。
しかも、薄茶の場合は銘に季節感がなくてはいけない。濃茶になると季節感の縛りがなくなるようだ。よって、読み人知らずのこの句には季節感がないので、却下。
そこで目についた和歌が、最初にあげた句である。季語は「月草」でツユクサの事。季節は初夏。銘は「うつし心(現し心)」。「いまの気持ち」と解釈するか、本心と解釈するか。
つまり、言葉と心は別の色、という雰囲気。銘の「うつし心」は瞬間瞬間に移りゆく「心模様」と解釈したい。
以前に私が提案した銘で、先生に一番受けた銘は、「ほがらほがら」。意味は「晴れ晴れ」。
「カゲロウさんがいくつか上げた銘の中で、これが一番ね」
と、お褒め頂いた。それに比べると、ちょっとキャッチーではない。つかみが弱い。しかし、「ほがらほがら」よりは、知的な響きがある。なんとか、先生のお心を捕えることができそう。
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