「受賞出来ても出来なくても、買って読みますよ」と、おっしょさん
茶道のおっしょさんが柄杓を使って大きめのポットから、炉にかけてある茶釜にお湯をつぎ足した。その一連の動作の中で、一つ気になる動作があった。それで、いつもの癖で、おっしょさんに質問した。
「茶釜に柄杓でお湯を注ぎ足すときお湯を注いだ後、柄杓の合(ごう)を茶釜の口の中で水平にして止めるのは、どうしてですか?」
と。私は学生時代、ホテルの厨房でアルバイトをしたことがある。その時、コックが鍋からお玉でスープをすくった後、お玉の底を水平にしてスープにお玉の底をつけて持ち上げると、滴が垂れにくくなる、と教えられた。それをおつしょさんも行っているのだろうかと思ったからである。しかし、おっしょさんの場合は別の意味があった。
「こうして柄杓の合を茶釜の口で水平にするのは、茶釜のお湯の量を見ているからです」
と、おっしょさんは教えてくれた。しかし、おっしょさんも一言挟みたがる性分。すかさず、
「また、小説のネタにするんでしょう」
と、意地悪そうに微笑んだ。私も、負けず嫌いなので応戦した。
「当然です」
と。さらに、次の小説の宣伝も付け加えた。
「今、推敲している利休と等伯の小説は、自分でもよく書けていると思いました。来年の十月に松本清張賞で賞が取れなければ、その時は、AmazonのKINDLEでデジタル出版しようと考えています」
と伝えた。
「出版され時は、たとえ受賞出来ても出来なくても、買わせていただきますよ」
お世辞だとしても嬉しい。しかし、おっしょさんは、絶対に買う。そう言う人だと私は思っている。
いつもの通勤で使う地下鉄の吊革につかまりながら、今朝も小説の推敲をしている。おっしょさんの言葉を思い出しながら……。
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