釉薬も一方に掛かって雪崩がかり…
タイトルは、ある茶入の景色を表した文章である。
それは、北野大茶会の時のことである。利休が太閤秀吉と連れだって参加者の様子をみて回ったとき、一つの茶入を太閤秀吉に見せたいと思った。そして、利休は、
「この茶亭の中に、良い茶入があります」
といって、茶亭の主人、烏丸光宣に頼んで茶入を太閤殿下にお見せしていただいた。その茶入は後に「唐物茶入 北野」と言われる「烏丸肩衝」である。その姿を表現した一文が、今回のタイトルである。
そこで興味を覚えたのは、利休が見せようとした茶入にではなく、二人が連れ立って縁日で面白い物を見つけて、駆け寄っていく様を連想させられたからである。まさに、同じ趣味を持つ子供が、縁日を興奮気味に見て歩いている幸せな時間を連想させられた。
同じ趣味を持つ子供二人が、一心不乱に友達に見せたい物を見つけて、そのお店に二人で駆けて行くような様を、彷彿とさせる。
しかし、利休は太閤秀吉が嫌いだったのではなかったか。そう思う一方では、『いやいや、二人の不仲は石田三成の策略だったのだ』と、一生懸命に二人の不仲説を否定する自分がいる。きっと、本当のところは後者に違いないと思うようになってきた。
二人が大の仲良しのお茶友だちだったと思えるようになってきたのは、「茶話指月集」という本を見つけてからのことである。利休の当時の様子を、利休の孫の千宗旦の聞き書きを主体にして残されたものである。
「茶話指月集」とは、利休の孫である千宗旦から聞いた利休の話を、千宗旦の直弟子であり、「宗旦四天王」の一人といわれる藤村庸軒が聞き書きし、彼の娘婿である久須見疎安が編集し、江戸中期の元禄十四年に刊行した板本のことである。
この本に残されている利休と太閤秀吉との交流の様子を読んでいると、仲の良かった利休を、秀吉はどうして「切腹」を命じるまでに追い込んだのか、逆に見えなくなってきた。男って、そうじゃない?
「女は仲良しだった人間に一度、不信感を抱くと徹底的に嫌いになる」
と、子持ちの人妻カメラマンが言っていた。
その話を聞いたとき確かに、そうだと思える節がいくつか頭に浮かんだ。以前の私のバンドの人妻ボーカルが脳裏に浮かんで、その後何人かの女性が浮かんでは、すぐに消えた。一方、男はと言うと、一度不審に陥っても「まっいいかっ」と、再び関係を呼び戻そうとする。私がそうなのだけど、全ての男がそうだとは言わないが…………。それでたまに、苦い思いをするのだが。
とにかく、縁日で賑わう人混みの中を、大の仲良しと二人で大好きなものを見つけてははしゃぎまわっている子供。そんな姿から、一方が切腹にまで追いやったという関係性が見えてこない。
「この茶入、いいでしょう」
「いいね、これ。うん、いいよ。いいねぇ・・・」
と、額を寄せ合ってニコニコしている数寄者の大人二人の姿が、目に浮かぶ。決して綺麗な景色ではない。見苦しい初老の男二人が、超至近距離で額を寄せ合ってニコニコしている様は、想像するだに気色悪いけれども。