「足、怪我でもしたの。どうしたの?」言うに事欠いて、それはないだろう!
茶道のおっしょさんに、こっぴどく褒められた!
自分のお稽古の番で、まず、先生の前に進み出て、
「風炉の薄茶点前のお稽古、よろしくお願いいたします」
と、扇子を前において「真」のお辞儀をする。それから、本日の「お菓子」、桜餅を出す。次に襖の敷居のところで水差しを脇において、再び「真」のお辞儀をしながら、
「薄茶を差し上げます」
と言って、顔を上げたらすかざず、
「お客よりも先に、頭を上げない!」
『おっとッ』
「敷居よりも前に頭を出さない! そのままじっとしてなさい!」
「ムッ!」
「ギロチンでしょ」
『クッ、くッ、そー!』
と心で叫びながら、お辞儀をし直して水差しを両手で持って、畳の上を進み、所定の場所に水差しを置いて茶道口へと戻り始めた。早々に、おっしょさん。
「蜻蛉さん。足はどうしたの? 変よね。怪我でもしたの?」
としつこい。
『むッ! 前にこっぴどく足の運び方について言われたから、必死で直したんじゃッ! クソッ!』
と、心で泣きながらもジワッと喜びが込み上げて来る。
私も素直に、
『はいッ! おっしょさんにコッぴどくイジられましたので、この2週間というもの必死で修練を積んできました』
と、沈黙で反撃。すると、おっしょさんの速射砲攻撃!
「YouTubeで、お稽古したの?」
やんわりと嫌味を添えられて、
「そうです。必死でYouTubeを見て、お点前の足の運びを研究しました」
不本意だが、応えてしまった。おっしょさんは『YouTube反対派』である。
客観的に言って、おっしょさんは私の足の運びを修正して来た努力を認めてくれた。
さらに、お稽古は進んでお客の兄弟子との問答の場面。お客役の兄弟子に「棗」について聞かれる。
「お棗の形は?」
「細棗にございます」
「塗師は?」
「江戸時代初期の加賀藩の加賀蒔絵の祖、五十嵐道甫の図案を昭和の蒔絵師・田崎昭一郎が描き、輪島塗りにて仕上げられたものです」
「お茶杓の作は?」
「大徳寺三玄院、藤井誡堂和尚の作にございます」
「銘など、ございましたら」
「銘は、苔清水にございます」
「風流な銘でございますね。結構な品々云々…………」
と、問答を難なく終えた。実際には、五十嵐道甫の作であるという棗は、現存していないようだ。棗の説明は「話だけ」である。ただ、存在しても不思議はない。お茶杓の方は事実。銘も、彼の作として実在する。
お稽古を終えて、最後の挨拶で、ついにおっしょさんに、
「良く調べて来ました」
と、お褒めのお言葉を久しぶりに頂いた。どうも、おっしょさんに褒められると、有頂天になってしまう自分が愛おしい。
『さあて、次回の棗とお茶杓について、いろいろと調べとかなくちゃ』
と、意気揚々として帰路に着いた。さっきまで降っていた小雨も、やんでいた。
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