マガジンのカバー画像

能登

16
能登の歴史の中から、思白いものを探して紹介します。
運営しているクリエイター

#能登

茶室で思う「幸福」の、私のルーツ―㊲

 先日、茶道の美人のおっしょさんに「茶室にいる時間に、一番の幸せを感じています」と、つい…

「国宝-風神雷神図屏風」も能登人の作? -⑯

 長谷川等伯に関する資料を読み込んでいて、大変なことを見つけてしまった。まさに、欣喜雀躍…

草葉の陰で今は亡き妻が、一番喜んでくれる! ー⑫

 この数日、書く気力がなかった。というよりも、書くだけの精神的な余裕を無くしていた。それ…

生活の軌跡は全て「小説を書くため」。 だから、生きていける

 正直な話、7年前、東京では自力で生きて行く道が見つからない発達障害の長男のためにと、石…

寺へと続く坂道の脇にある大きな銀杏の木が、僕に電波を送り続けている

 長谷川等伯と言えば「松林図屏風」が、真っ先に頭に浮かぶ。  僕にとって、この屏風の絵は…

歴史に埋もれていた人物を浮き彫りにすることは、すごく魅力的だ!

 安部龍太郎は、長谷川等伯を題材にした「等伯」を執筆するにあたって、五年前から準備に取り…

2012年、第148回芥川賞の受賞者は75歳9か月で、史上最年長記録だった……

 茶道への興味から、千利休の資料を探し始めた。その中で、利休の肖像画について知った。絵は彼が六十九歳で亡くなってから四年後の文禄四年(1595年)に、完成している。描いたのは、長谷川等伯である。  等伯は、本名を「信春」と言い、能登の七尾城の城下町で生まれ育った。彼が小さい頃に預けらけたお寺が、小丸山城の西にある鞍馬山の山麓のお寺である。私にとっても、縁の深い場所である。  茶道に興味を持った事で、それまでバラバラの点でしかなかった事柄が線となり、徐々に面へと、広がりを見せは