苦しみと幸せの間

生きることも難しければ死ぬことも難しい。

生活するのにはコツコツと積み重ねることと、知識と経験で仕事をしていかなければなりません。学生の頃は責任なくとも社会人になると義務と責任が出てきます。

明日よくするには今日頑張らないといけません。

では頑張ったらいいのか?

老後まではいいでしょう。しっかりした人生を歩めば報われることも結構あります。

ただし死の解決だけは仏教の説くところです。

生きている間から幸不幸、快不快、善悪、損得、それらで計って人生設計して死ぬまで苦しまないように幸せになるように生きるのは人類でも生物でも本能かと思います。

いいところへ生まれたい、死んだ後は苦しみたくない。

そのことを浄土教では、浄土に生まれる、成仏すると言ってきました。

その浄土というのは清らかで清浄で、清らかな方々がおられ、煩悩や執着や苦しみの一切ない仏の国です。また仏様は煩悩から解脱した方で、煩悩に染まらず執着から解放し解脱させられる方であります。

その仏になるために清らかな戒律を守り仏道修行をされる方々を菩薩と呼びます。

苦しすぎると今助けてほしいのに、神も仏もいるものか、と思ってしまうかもしれません。誰も肩代わりしてもらえず一人惨めに苛まされると消えてなくなりたいとも思うかもしれません。

楽しすぎたりすると、このままでいたい、この世はなんて素晴らしいのかと思います。ただその中にあって一抹の侘しさ寂しさを諸行無常、移り変わらないものはない、常にあることはない、と感じる事があるかもしれません。

浄土に生まれたいと願い仏を念じる、が大元の念仏の意でありますが、浄土教は称名正定業と申します。念仏は浄土に生まれる正しい行業であり、そのお働きに疑いないのが信心とも言われます。

そこには仏の計らいであって私の計らいは浄土へ生まれ成仏するのに不要であったと知らされる、と習います。

もしこの世がうまくいかない人、うまくいっても終わるのかと思う人、いらっしゃったら浄土教に明るい人を訪ねてください。

法然聖人、親鸞聖人、蓮如上人をよくよくご存知の方がおすすめです。

くれぐれも信心に嘘を言う人には気をつけてください。

助かることに嘘をついたり言い逃れすることないように文沙汰しないように聴聞するように、が法然聖人親鸞聖人蓮如上人のおっしゃったことでもあるからです。


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