三つの髻(もとどり)

浄土真宗をお聞きし学ばせていただくに当たって、よく参考に、思い出させていただき行動指針になることが結構あります。また他者からの影響において、他者の行動においてのものさしになるときもあります。

覚如上人の口伝鈔の九にある三つの髻(もとどり)というお話です。

ある日、(親鸞聖人がまだ法然聖人のところへ通っておられた頃、およそ二十九歳で入門、三十五歳に流罪にあわれるのでその間の頃か)法然聖人のところへ車で移動のときに一人の修行者が尋ねたそうです。

「京都に八宗兼学の智慧第一の方がおられると聞きましたがご存じないでしょうか?」

「それでしたら法然聖人のことでしょう。今から行くところでした。よろしければご一緒しましょう。さあお乗りください。」

「車に乗るには及びません。よろしくお願いします。」

「どうぞお乗りください。一緒に法を求めるのですからそんなにご遠慮されずとも。同じ仏法を求める同志でありましょう。」

「いやいや恐れ多いことです。気になされず結構です。」

再三申されるものの結構とのこと。

「そうですか、ならせめてお荷物だけでも。」

と仰られて荷物を載せて法然聖人の元へ向かいました。

しばらくして法然聖人に親鸞聖人は尋ねられました。
「法然聖人、修行者が法を求めて道を尋ねられ、一緒に参詣いたしました。ご紹介よろしいでしょうか。」

「ここへお呼びください。」

そう仰られたので修行者を面会のため部屋へご案内されました。

その時、法然聖人はキッと修行者を睨みつけられたので、修行者も睨み返しました。

ややしばらくして法然聖人。
「お坊さん、どこからお参りなさいましたか?また、どのような御用でしょうか?」

修行者、
「私は鎮西(九州)から参りました。法を求めて京都に上がりお尋ねさせていただきました。」

法然聖人、
「いずれの法を求めてらっしゃるのでしょうか?」

修行者、
「念仏の法を求めています。」

法然聖人、
「お念仏は唐土(中華)のお念仏でしょうか?それとも日本のお念仏でしょうか?」

修行者ややしばらくとどまり滞られた後、思案の後に
「唐土のお念仏です。」
などなどやり取りがありました。

法然聖人、
「さては善導和尚のお弟子でありましょう。」

そうしましたら修行者、懐よりツマスズリ(筆記具)を取り出し二文字を書きました。鎮西の聖光さんと言われました。

聖光さんは鎮西にいたとき思ったそうです。京都に皆が智慧第一と呼ばれる聖人がおられる、どのような方だろうか、と。すみやかに上洛してかの聖人と問答しよう。その時もし智慧優れて私に勝てば私はまさに弟子となろう。また問答に勝てば彼を弟子にしよう、ということだったそうです。

法然聖人はかの慢心をして、権者、仏や菩薩が仮に人の姿として現れてお導き、ご教導のこと、何かの学びの機会と取られてご覧になられ、今のようにご問答あったのかもしれません。

修行者はおよそ太刀打ちできない、梯を立てても及ばない、能力が劣り到底肩を並べることができない、と慢心のはたぼこ、たちまち砕け、師と弟子の礼をなして、たちどころに二字を捧げました。

両三年過ぎた頃。

ある日、聖光さんは荷物をまとめて法然聖人の元へ参られ申されました。
「故郷懐かしく帰りたくなりました。鎮西に戻ろうと思います。お暇いただきたく思います。」

そうして御前ご挨拶後に退出し、法然聖人の元を門を出て立ち去りました。

法然聖人、
「新しく出家したお坊さんが髻、髪を結って頭を剃らずに行かれた」
と仰られました。

その声が修行者が鎮西に帰る道すがらに聞こえてきたのでしょうか、立ち返って法然聖人にお会いになられ言われました。

修行者、
「聖光は出家し得度して年久しくなります。しかるに、本鳥を切らないと仰っしゃられましたが最も不審です。この仰せが耳に入りまして帰っている途中でしたが帰るにも帰れず道を引き返してきました。事の次第を聞くまでは帰れません。」
などなど。

その時法然聖人、
「宗教指導者に三つの髻があります。
 いわゆる、勝他、利養、名聞であります。
 この三年間、私が述べた法文を記し集め、身辺において付き人のように従ってこられました。故郷に帰って人を従えようとする、これは勝他ではありませんか?
 それにつけて、よき学者と言われたいと思う、これは名聞、世間的に名声や利己心ばかりに心を砕くことを願うところです。
 これによって檀越(施主、信者、後援者)を望む、これは所詮利養、財産を求め私欲を貪る心、そのためです。
 この三つの髻を剃って捨てなければ仏法をお伝えし先導する法師とは言い難い。よって申し上げたとおりです。」
などなど。

その時聖光さん、悔い改めた表情で、荷物の底から書き留めていた書類書物などを取り出して、すべて焼き捨てて、また暇乞いを申し去られました。

けれども、その余残があったのでしょうか。ついに法然聖人の仰せを差し置いて、口伝に背く諸行往生の自説を骨頂して、自ら迷い他者をも迷わせる自障障他すること、祖師の遺訓を忘れ、諸々の仏菩薩神々の冥慮、向こうからはよく見られていること、多くの方々のお陰様を憚らなかったのでしょうか。そう思われました。悲しむべきことです、恐れ入るべきことです。

さて、かの聖光さんは親鸞聖人が最初に法然聖人の元へお連れしご紹介された方でした。末学の方々、これを知るべし。


以上が口伝鈔に記される御教えです。教団だろうと個人だろうと、従来だろうと新規だろうと起こりうることでしょう。

参考

『真宗聖教全書三列祖部』十四頁

古語辞典


口伝鈔下
三種のもとどり

http://wikiarc.wikidharma.org/index.php/%E5%8F%A3%E4%BC%9D%E9%88%94

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