
舞台『No.9 -不滅の旋律-』ベートーヴェンファン目線からの5つのみどころ(追記あり)
舞台『No.9 -不滅の旋律-』、再々演決定おめでとうございます!!
2015年の初演&2018年の再演に足を運んで感激した「ベートーヴェンファン」勢のひとりが書いた、この舞台のみどころをお届けします。
※記事は2018年の再演前に書いたものです(追記あり)
※核心的なネタバレはありませんが、事前情報をみたくないという方は鑑賞後にお読みいただければ幸いです
※演出・脚本など変更になっている場合があります
1 ピアノ
ベートーヴェンが生きた当時は、ピアノという楽器が爆発的な進化をとげた時代。
現代でいうところのパソコンやスマートフォンの進化のようなスピード感で、ピアノはより音域が広く、より音が大きく、より頑丈な楽器に変貌していきました。
こうした18-19世紀のピアノは、現代のピアノと区別して「フォルテピアノ」と呼ばれています。
当時のピアノには「イギリス式アクション」と「ウィーン式アクション」の2種類があり、それぞれ音を出すための構造が違います。ベートーヴェンは両方のピアノを持ち、それぞれのピアノからインスピレーションを受けて作品を書きました。彼は自ら、ウィーンのピアノ工房に「もっと音域を広く」「もっと豊かな音を」……と口出しをすることもあったといいます。こうした口出しは、ピアノの進化に直接的な影響を与えました。
『No.9』がピアノ工房のシーンから幕を開けるのも、ヒロインがピアノ工房とゆかりのある人物なのも、ちゃんと設定として必然性があるわけです!
なお、登場するシュトライヒャーは実在のウィーンのピアノ・メーカー。音を聴いてみたい方はぜひこちらを↓ 現代のピアノとの音の違いを味わってみてください!
ナネッテ・シュトライヒャー製によるフォルテピアノ
(以下追記)
シュトライヒャー一族に関しては、2020年3月に筒井はる香さん著の本が刊行されています!少し専門性の高い内容ですがコンパクトでお手頃、巻末資料も充実しています。『No.9』に登場する、クールでかっこいいナネッテねえさんに惹かれた方は必読です!
フォルテピアノ19世紀ウィーンの製作家と音楽家たち(筒井はる香/アルテスパブリッシング)
2 警察
『No.9 -不滅の旋律-』には、警察官であるフリッツ・ザイデルという人物が登場します。
ウィーンの警察には、大きく分けて「公衆警察」と「秘密警察」の2つがありました。
「公衆警察」は、交通や治安や流通をとりしまる、いわゆる一般的なおまわりさん。
一方の「秘密警察」は、検閲や監視によって市民をとりしまる内務警察。1814-15年のウィーン会議を機に強化され、過剰な検閲に音楽家たちは苦しめられました。
オペラの台本や歌詞、はては個人的な手紙までも開封され、検閲局のチェックを受けさせられたそうです。
彼ら秘密警察官は私服警官さながら一般市民のふりをして生活に溶け込み、ほかの市民の行動を監視しました。ちょっとでも反政府的な発言をしようものなら即逮捕。
ベートーヴェンはというと、あまりに有名人だったのと、問題発言が数え切れないほど多かったために「アイツはほっとけ」的な扱いを受けていたそうですが(……)それでも秘密警察の存在が窮屈だったことはいうまでもありません。
こうした背景を踏まえると、舞台上でのフリッツという人物の動きがより興味深く見えてくるかもしれません!
なお、反社会的人物として逮捕されることはなかったものの、あまりにあやしい格好で歩いていたために、ただの不審者として逮捕されたことはあったベートーヴェンなのでした……。
3 ウェリントンの勝利(戦争交響曲)
『No.9 -不滅の旋律-』がおもしろいのは、この曲をスルーせずにちゃんと取り上げているところです!
「ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い(戦争交響曲)」Op.91(トラック1-2)
なにせこの曲、ベートーヴェンの死後は「世紀の駄作」とみなされることが多く、演奏機会もまれ。録音はいくつかありますが、1~9番の交響曲とくらべると圧倒的に少なく、「触れちゃいけない黒歴史」のように言われることも少なくありません。
ナポレオン戦争の1シーンを活写したこの作品(正題「ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い」)。もともとはヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した自動演奏楽器「パンハルモニコン」のために作曲され、のちにオーケストラ作品になりました。
パンハルモニコン
進軍を表す太鼓とラッパが鳴りひびき、戦争のドンパチがひとしきり描かれて、最後はイギリスの勝利をうたう高らかな凱旋のメロディで幕を閉じる…というこの作品。た、たしかに、音楽というよりネタが先行したような作品。「安っぽい」といわれるのもやむなし!?
しかし、戦勝ムードを煽るこの作品、当時は市民に大ウケ。ベートーヴェンの生前は、彼の代表作のひとつであり最大のヒット作として知られていたのです。(その世間の評判に対するベートーヴェンのリアクションも、『No.9』のみどころのひとつです)
4 家族関係
『No.9 -不滅の旋律-』には、弟のカスパール・カールとニコラウス・ヨーハン、甥のカール、そして父のヨハンが登場します。
ベートーヴェンと家族をめぐる問題は、20世紀におけるベートーヴェン研究の主要なテーマのひとつでした。
ベートーヴェンはなぜあんなに気むずかしい性格になってしまったのか?
なぜ甥に執着して監視したのか?
なぜ恋愛がうまくいかなかったのか?…
これらの謎を解く鍵は、幼少期の父親との関係にある。そんな精神分析研究がひところさかんに行われました。
20世紀を代表するベートーヴェン伝であるメイナード・ソロモンの『ベートーヴェン』も、その研究に立脚したものです。
メイナード・ソロモン『ベートーヴェン』
『No.9』でも、ベートーヴェンと父ヨハンとの関係が彼の人生にどういう影響を及ぼしたか、丁寧に描かれているのでぜひご注目ください。
5 ヒロイン
『No.9 -不滅の旋律-』のヒロインは、架空の女性マリア・シュタイン(今回は剛力彩芽さんが演じます)。
ベートーヴェンに尽くす役どころですが、ただメイドのように家事をこなすにとどまらず、またベートーヴェンと安易に恋仲になろうとしません。ちょっとだけネタバレになりますが、マリアは中盤、「私はメイドじゃない。ベートーヴェンの代理人です」とはっきり宣言しています。
ただの女の子じゃない、仕事の協力者です、という宣言。
こうしたヒロイン像、実はベートーヴェン創作史(?)に系譜があります。2006年の映画『敬愛なるベートーヴェン』(アニエスカ・ホランド監督)のヒロインも、写譜や指揮の代行をつとめてベートーヴェンの仕事を助けますが、恋仲にはなりません。
ちなみに、この映画のヒロインの名前は「アンナ・ホルツ」。架空の人物ですが、明らかに名前の元ネタがあります。それがこの人です。
カール・ホルツ
ベートーヴェンの秘書をつとめていた人ですが、「男性」なんですね。
ベートーヴェンは、しばしば若い男性を手元に置き、日常のことや出版・作品の上演の手続きなどの手伝いをさせました。ホルツのほかにも、弟子のフェルディナント・リース、秘書のフランツ・オリヴァ、アントン・フェリックス・シンドラーといった人物がいます。(……秘書まわりに関しては、手前味噌ですがこちらの本が詳しいです)
ベートーヴェンというと女性との恋愛関係が有名で、「この曲は失恋から生まれた」という解釈が行われたりするわけですが、彼の実務を直接的に助けていたのはむしろ男性たちであったわけです。
マリア・シュタインやアンナ・ホルツのような「恋仲にならない」かつ「仕事の役に立つ」女性は、ベートーヴェンの仕事の実態を描く上ですごく今日的なヒロインだなあと思います。
フェミニズムの洗礼を受けたヒロイン像ともいえますし、こういった、時代にふさわしいキャラクターを登場させるところが、私が『No.9 -不滅の旋律-』が好きな一番の理由です!
……というわけで、再々演も心待ちにしている一ベートーヴェンファンから、手前勝手な5つのみどころをお届けしました。
才能にあふれ、人間的にはダメダメな稲垣吾郎さんのベートーヴェンに会えるのが楽しみです♪
演奏会も軒並み中止でさびしい思いをしていたベートーヴェン生誕250年ですが、年末は盛り上がりそうでうれしさの極み。まずはぶじに上演されることを心より願っております。
補足情報
ちょうど『No. 9』と同じ時期、ベートーヴェンを扱ったこちらの舞台作品が上演されるそうです。
『Op.110 ベートーヴェン「不滅の恋人」への手紙』(初演)
わたしの「推し」である(推しすぎて本も書きました)ベートーヴェンの愛弟子ことフェルディナント(ド)・リースも登場するということで、こちらもとても楽しみにしています。
『No. 9』とあわせての鑑賞、大いにアリなのではないかと思います!
もひとつ補足情報
やっぱり同時期なのですが(さすが生誕記念年の誕生月はたてこみます)、以下の講座でベートーヴェン関連のお話をさせていただきます。
生誕250年! ベートーヴェン「ナポレオン激怒事件」の真相【12月】
『No. 9』でも登場するベートーヴェンと社会情勢の関係性、そしてベートーヴェンが「どう語られてきたか」という問題をわかりやすくお話したいと思います。ぜひ!
おまけ
この記事を書いた人は、以下の本の著者です。ご興味ありましたらぜひ。
犯人は、ベートーヴェンの秘書シンドラー。音楽史上最大のスキャンダル「会話帳改竄事件」の全貌に迫るノンフィクション!
古典派からロマン派へ、音楽史のターニングポイントに生きた音楽家、フェルディナント・リースの波乱の生涯。