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家のレコード棚がやばい!断捨離という概念と、私という人間 

断捨離という言葉が世間を賑わせるようになって久しい。

不要な物を手放し、最小限の物で暮らすというライフスタイルは、
確かに魅力的である。
しかし私にとって「断捨離」は、どこか遠い世界の話のように感じられる。なぜなら、私は大好きなレコード、本、そしてCDに囲まれた生活を心から愛しているからだ。

世の中には、物を減らし、シンプルに暮らすことで心の平穏を得る人々がいる。それはそれで素晴らしい生き方だろう。

しかし、私にとって、これらの「物」は単なる物体ではない。それぞれに思い出があり、音楽があり、物語がある。それらは私の人生を彩り、私という人間を形作ってきた、大切な一部なのだ。

部屋を見渡せば、壁一面に並んだレコードのジャケットが目に飛び込んでくる。それはまるで、私だけの小さな音楽博物館のようだ。ジャケットのデザインを眺めているだけでも、当時の記憶が蘇り、心が躍る。本棚には、積ん読状態の本も少なくないが、それらはいつか読むであろう未来の自分へのメッセージでもある。CDラックには、ジャンルも年代も様々音楽が詰まっている。その日の気分に合わせて選曲する時間は、私にとって至福のひとときだ。

もちろんこれらのコレクションは、整理整頓が行き届いているとは言い難いかもしれない。

世間一般で言う「片付いた部屋」とは、明らかに異なるだろう。

しかし私にとってこの空間は、混沌としていながらも、どこか心地よく、落ち着ける場所なのだ。

それは、私が「好き」に囲まれている空間だからに他ならない。

そして、困ったことに、私はリサイクルショップに足繁く通ってしまう習性がある。

そこでふと目に留まったCDや本は、まるで私に語りかけてくるように思えるのだ。

「私を連れて帰って」と。

そうなると、もう抗うことはできない。「これも何かの縁だろう」と、自分に言い訳をしながら、また一つ、コレクションが増えていくのである。

これは、断捨離とは真逆の行為と言えるだろう。
物を手放すのではなく、むしろ増やしているのだから。

しかし、私にとって、これは単なる物集めではない。

それは、自分の「好き」を追求し、自分の世界を構築していく行為なのだ。

だから、私はあえて高らかに宣言したい。私は断捨離とは無縁であると。

私は「好き」に囲まれる生活をこれからも続けていく。それが私にとっての幸せであり、私らしい生き方なのだから。

この文章を読んでいるあなたはどうだろうか?

もし、私と同じように「好き」に囲まれた生活を送っているのなら、ぜひその喜びを分かち合いたい。

また断捨離に挑戦してみたものの、なかなかうまくいかない、と感じているのなら、無理に全てを手放す必要はないのかもしれない。

本当に大切なもの、心惹かれるものだけを残し、自分にとって心地よい空間を作っていく、という選択肢もあるのだ。

結局のところ大切なのは、自分がどうありたいか、何が自分にとって大切なのか、ということをしっかりと見つめることなのだろう。

そして自分にとって心地よい生き方を選択することこそが、最も重要なことなのではないだろうか。

この文章が、読者の心に何かしらの共鳴を呼び起こすことを願っている。

↓CDはケースを外してスリムケースに入れなおしてスペースを確保している

↓レコードはこの袋に入れて保護


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