フォロワー数との追いかけっこをやめた話
こんにちは。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
立春ですね。春の季節の始まり。
日付でいうと昨日の2/3が立春だったんですが、正確な時刻は2/3の23:59。
ということで、僕にとっては今日2/4が立春でした。
今日話すのは、この立春に到るまでの冬の土用の間のこと。
僕は正直、頭と身体が分離していた感が否めない最近でした。
きっかけは最近話題となっているclubhouse。
著名人が続々と参入していたり、招待制だったり、
「音声版のtwitterになるぞ…!」
みたいに騒がれていて、新しいもの好きの僕はもれなく参加しちゃいました。
「この嵐のようにやってきたclubhouseをこれからの活動にどう活かそうか…?(もしくは、そもそもやる必要があるのか)」
ということを意識下でも、無意識下でもかなり考えていた数日間だったように思います。
そういった思考につられて出てくるのが
何者でもない自分への焦りや劣等感。
フォロワーが何万人もいるような人たちへの羨ましさ
などなど。
こういった内側の小さな声は、手放したと思ってもやっぱりまだいて、必死に声を出してるんですよね。
この声たちは何も悪くない。そこにはきっとなにか大事にしたいものがあるはず。
でもこの声たちに
「君たちのことはもう手放したから」
と言って聞こえないふりをしている自分がいた
ということに気づきました。
その結果、でもやっぱりその声はノイズ的に頭の中に響いていて
- 「自分の発信が誰かの役に立ってほしい」という願い
- なにか面白い流れが起きることへの期待
- フォロワー・ファンを増やしたいというねらい
など、色んなものが混ざっているカオスな状態でtwitterやclubhouseでの発信をしていました。
あ、フォロワーやファンを増やそうと動いている人を批判するつもりは全くないんです。
ファンの存在が活動において大きな資本となる社会になってきているのは間違いないし、それによって満たせることがたくさんあるのも知っています。
周りにもそのためにめちゃめちゃ努力を積み重ねてる人たちがいて、尊敬しています。
でも僕は、数字と追いかけっこするのが嫌になって、いのちをありのままに生きたくてここまで歩んできた。
それなのにまたフォロワーという数字に一喜一憂したり、その数字で自分の価値を推し測ったり、その数字を増やすために発信したり、といった数字との追いかけっこをまたしてしまうところでした。あっぶね!
本能的にそこに違和感があったけれど言葉になっていなくて、でもこの社会の中ではそれが成功への道とされているからやった方が良くて、というカオスによる、頭と身体の分離感だったんですね。
まぁ、無理もないな、と思います。
僕らは社会のいたるところから
「何者かにならなければお前には価値はない」
「フォロワー数=その人の価値」
というメッセージを受け取っているから。
でも一旦立ち止まって、本当に自分の生きたい世界ってどんなだっけ?って聞いてみて。
少なくとも僕にとっては、何万人って人に認めてもらうことじゃなかった。
それよりも、本当に大事な100人と関係性を紡ぎたい。
インターネットに触れなくても毎日が満たされている世界を生きたい。
そこにいきたいのに、「その世界をつくるためにフォロワーを増やすために毎日SNSを更新する」って意識で向かうのは絶対に違うんですよね。w
多分その意識でたどり着くのはいつまでも「フォロワーがもっと必要」な世界。
いきたい世界の意識を、今に体現しながら生きていくことで、その世界が具現化されていく。
そんなシンプルな自然の法を、忘れかけていました。
「あ、フォロワーは増えなくていいんだった」
と思い出せて、肩の荷が一気に降りました。
ようやく純粋な意図から、適度な距離感でSNSと付き合えそうです。
そんなとても大切なことを思い出せた冬の土用の最後の日でした。ありがとう。
きっと、フォロワー数を活かして面白い活動をしている人とか、「フォロワー◯万人達成しました!」みたいな投稿を見るたびに今後も「やっぱりフォロワーを増やすべきだ!」という声は出てくると思う。
そんなときにも思い出せるように、ここに記しておきます。
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