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【原神考察】神里綾人の「衣装デザイン」に関する理論

*この記事の内容は海外コミュニティ「Reddit」に投稿された英語記事をベースとして投稿者から許可を受けたうえで篝火文書が翻案したものになります。

どうも篝火文書店店長のはるとです。

Ver2.5生放送で八重神子ちゃんの情報をウキウキしながら待っていたら、まさかの先行で神里綾人の発表にめちゃくちゃ驚きましたね。

元々、綾人は発表前から声優がmiHoYoの崩壊3rdに登場する黒幕「オットー・アポカリプス」と同じ石田彰であったため、「ラスボスじゃないか」「絶対腹黒だ」「稲妻の事件がこいつは仕組んだ」などと一切何の根拠がないにも関わらず風評被害が著しい人物でした。

崩壊3rdの大事件は大体こいつのせい


それはさておき、日本ではあまり馴染みがないのですが、海外では「綾人の衣装は女性用の振袖でおかしい。振袖は未婚女性が着るもので綾華ではなく綾人のそれを着せるなんてHaHaHa」というような書き込みが投稿され、それが2万イイネ近くを得るなど大激論を繰り広げられています。

さて、この「綾人の衣装論」について海外での投稿に興味深い投稿がありました。

この議論は、日本の衣装をテーマにしているにも関わらず、日本人のファンの間でほとんど語られてされていないことや、議論とは別に衣装デザインのテーマとして面白いなと思ったため、投稿者に許可を取った上で、翻案して紹介させていただきます。

当初は、ただ単に翻訳する予定だったのですが、日本語としての読みやすさを考慮すると同時に、私の個人的な意見・解釈等を追加したことにより、結果としてかなり大幅に加除訂正を行っています。
よって内容に異論がある場合は、私の方にお願いします。

許可をいただいたHi3m1氏にお礼を申し上げます。



重要な注意点

神里綾人の服がどのようなプロセスとインスピレーションによって作られたのか、本当の答えはmiHoYoの手に委ねられています

しかし、私たちがここ(Reddit)で行っていることと同じように、私たちはその答えについて議論し考察することができます。

私たちは一つのテーマについて、何度も議論ができますし訂正も可能です。
正解は決まっていません。

だから、私がここに書いたものは、話半分で聞いてくださるようにお願いします。

この理論は、Liza Dalby著「Kimono : Fashioning Culture」について私が記憶している記載内容について基づいています。


はじめに

彼の服は日本の明治時代を代表していると言っているのは私だけではありません。

特に綾人はただ単に「西洋風」の服を着ているわけではなく、彼のデザインの中には「西洋服」と「日本の伝統的な服」の双方が取り入れられています。
だから私はそのような彼のデザインが大好きです。

さて、明治時代になり文明開化が起きましたが、人々はすぐに「近代化」や「西洋化」に適応することはできませんでした
それが可能だったのは上流階級の人間だけです。

それに、日本の仕立て屋はまだ西洋風の体にフィットする服を作る技術を持ち合わせていませんでした。

日本の着物はフリーサイズであり、それを厳密にサイズが定まっている西洋服に適用するのは難しかったと思います。
それに新しい物への抵抗もあったでしょう。

この話のポイントは、明治時代から日本の伝統的な服と西洋の服を組み合わせることが始まったということです。
日本人は着物に対して、帽子・コート・靴などの「西洋」アクセサリーを追加するというファッションを生み出し、次に「とんび」などの新しい形の服が生まれました。


神里綾人の衣装論

では綾人の服の「日本風」とは何でしょうか?

Twitterでは、彼の服の袖は女性用の振袖に触発されており、男性である彼にとって奇妙であるという意見があります。しかし、私はそうは思いません。

miHoYoは稲妻文化を表現するに当たって、日本の伝統や文化を深く研究しています。
それでありながら、綾人に女性用の衣服をあてがうという単純な行為をするとは思えません。

確かに彼の服は袖が長く、一見男性として奇妙に思えるかもしれませんが、平安時代の貴族が着用していた「狩衣」や、武家が着用していた「直垂」はこのような長い袖を持っています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E8%A1%A3(狩衣)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E5%9E%82(直垂)

また、これらの服と綾人の服には袖に紐が付いているということに着目してください。

これは「露」と呼ばれる袖括り用の紐であり、これを引っ張って袖まくりをしていました。

通常、振袖にはこのような紐はついておらず、この事実は、「彼の服は女性用振袖であり歴史的に見ておかしい」という理論が間違っていることを示唆しています。

また振袖はくるぶしまで長さを持っていますが、彼の袖は膝までしかなく、女性用の振袖として見ると逆に短すぎます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E8%A2%96(右・振袖)

綾人のコートは、日本の伝統的な服と「洋服」の融合です。荒瀧一斗と同じように陣羽織を着ていますが、狩衣或いは直垂に似ています。

特に直垂は、江戸時代以降は上位階級の武士にしか許されない権威あるものとなり、明治初期には朝廷出仕の際の礼装として指定されています。

さらに、服のカットは洋服のように体にフィットしており、後ろの部分は燕尾服のように見えます。

燕尾服は明治時代後期の「通常礼服」とされ宮廷でも着用されていました。
(そして綾人は明治天皇の雰囲気に少し似ています)。

彼がコートの下に着ているのは、着物や小袖のように見えるいくつかの層です。上流階級にとって着物(または小袖)を何枚も着ていたのが「粋」でだったのです。

彼が着ている三つ編みや紐はおそらく組紐(武士の鎧や刀などに使われる紐)でしょう。

https://oishya.com/journal/kumihimo-the-japanese-art-of-silk-braiding


残りのズボンや靴や甲冑はそのことを説明しています。


結論

「洋服としての白衣、靴に燕尾服」そして「陣羽織と狩衣/直垂の着物」に「小袖と組紐に甲冑」

これらを組み合わせたものが神里綾人の衣装になります。

彼がどのような人物なのかはまだ明らかになっていませんが、「和」の雰囲気が強い稲妻において、新しい文明開化を受け入れる先進的な人物像が予想されます。




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