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連休最終日のひとりごと

この連休というものあまり体調がよくない中ではあったが、本に触れ、文章に親しみ、音を感じ、言葉をかみしめるということをたくさんできて、気持ち的にはとても充実した連休だった。

本当に言葉というもの、音というもの、同じものでも使う人により意味や相手にぶつかる温度は変わる。個人個人の温度を肌で感じたい。

病み上がりではあったが、連休の初日は行きつけの古本屋で店主に油を売っていた。店主の好きなハードロックを聴きながら、休憩の傍ら紅茶を飲みお話をする。

わたしはその時間が好きだ。学生の頃、用事もないのに保健室や図書室にいっていたように、こどものように純粋に語り合える、その時間はじぶんの心の充足には大切である。

店主はけっこう、いや、なかなかに癖がある人で、話が面白い。今回はハードロックを聴きながら、若い時の話とクラシックの歴史について聞いた。生きた言葉というものは、紙に書いてある言葉の何倍も頭に入ってきて良い。この日は再読用に罪と罰を買おうか迷って買わずに帰った。

翌日は頭痛と血圧がだいぶ高くめまいがして吐き気をもあったので、午前中に少しギターを弾いてから自分がつくったおにぎりを食べて寝た。

月曜日。連休の真ん中。知人にお願いをして友達が出るライブを見にいった。(見に行ったはずだった。)

会場に着くと同時に友達と合流し、すぐに、ライブハウスの隣の洋食屋で出演者さんたちとご飯を食べた。そのあと、わたしは予定になかったセトリをユニットの子とその場でつくり楽屋で練習をした。

病み上がりのため体の心配はいろんな人にされたが、この日は、調子が良かったのでやらせてもらうことにした。以前の会話から、今日はぜったいにユニットの相方ちゃんに会うべきと思っていたし一緒に音楽がしたいと心から思っていた。そういうこともあって、ステージに立ったら気持ちがいっぱいになり、相方ちゃんと一緒に歌いながら泣いた。飛び入りで参加してくれた店長のギターがまたよかった。

勢いと哀愁と楽しさ、力強い音と高めのテンポ、自分たちの雰囲気とこの日の心境ににあっていたように思う。ありがたい。こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。高校の頃に能の舞台に出たきりだ。

わたしの青春は一回終わっている。そこから止まっている何かが動いたような気がした。とにかく、うれしくてたのしくて、温かい気持ちでいとおしい気持ちで、純粋なきもちでいた。

その前に、歌った友達の歌に関して、自分がつらいことがある数日前に対バンし、そのあとつらいときにいいなと思って聞いていたせいか、また、実際に聞いたらじわじわとくるものがあった。

久しぶりに歌がすっと自分の心に入ってきたきがした。わたしは相当、自分の内側に他者が入り込んでくるということに敏感で、拒絶を多くするタイプ、意地っ張りなタイプだと思っている。怖い、人間が。自分も人間であるのに。心と心を通わせることが怖い。そんな中ですっと入り込んできた友達の声が自分の心の中の自分と手を握ったような感覚になった。

そのあとじぶんがどんな表情や気持ちでいたのかあまり覚えていないけれど、とにかくよかった。良いほうの体験だった。この日ここにいて、ほかにもいろんな人の声や感情がみれた。ライブを見にいってよかったと思う。

あとの言いたいことは個別に会ったときにでもお話ししたいなと思うし、もっと歌を音を楽しんだり感じられるようになりたいと思う。

P.S. 友達の歌を聴きながらする読書は捗る。


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