通り過ぎていくかもしれない人間がいることを、そして、人が死ぬのは突然。
息できてますか?
悲しいこと辛いことはありませんか?
あなたが悲しいとか辛いとか思うのならそれは事実としてそうなんだから息が出来ないよってちゃんと言ったほうがいいよ。
今日はひとつ命に関わる病気を持っている人視点からの切実な話をしたい。私がそうだとかそうじゃないとか特定の誰から(個人から)言っているとかはこの場では控えたい。ただ、わたしは切実な気持ちでこの記事を書いているということだけ踏まえて読んで欲しい。
自分は通りすぎていく側の人間だと
あなたは悟ったことがありますか?
身体的な持病がある人で、例えば、難治性だとか手術が必要とか長くそれと付き合っていかないといけないとかいつ死ぬか正直分からないという人がいたら一度こういう事を考えたことがあるんじゃないだろうか。
そうじゃなくても病気って言われたら1回は自分が死ぬことを考えると思う。そして、それはとても怖いんじゃないだろうか。平気なフリをしていても痛みがあれば、体に異常があれば心は揺れる。だから、死ぬかもしれないと考えること、怖いと思うことは悪くないんだよ。
病気を打ちあけるとよくちゃんと病気を治してからと言う人がいる。それには、愛情があるということを知っている。それを知った上でそうじゃないと思うことがある。病気があるということはないよりは死ぬ確率がある。そうした時それを言った人はじっとしていられるだろうか?私はじっとして病に耐えるだけの生活というものには耐えられないと思うんだ。
それとね、自分は通り過ぎていく側の人間なんてそんなこと思われたほうからすればすごく腹立たしいと思う。真正面から向き合えよって思うよね。
自分がいなくなった時のことを考えて、自分は通り過ぎていく側の人間だからって諦めることはたぶん楽。そんな事言わないでってそこはひっぱたいたり、怒ったりしていい。
ここだけ心当たりのあるあなたに向けて言いたいよ。(多分これを読んでくれていると思うから。)
普通にごく普通に生きたいね。人並みに自分は通り過ぎていく側の人間と言わずして生きたいね。同じ土俵で同じ条件でたたかいたいね。全然大丈夫って言って笑いたくないね。笑わなくていいよ。自分がいないことを考えて諦めるのは悔しくなったり羨ましくなったりするね。そういうことがあなたにあるのか定かではないけれど。辛いことはここや私に吐き出してね。むしろ吐き出してほしいよ。ずっとずっと生きていこうね。また元気に会おうね。抗っていこうね。ということを切実に思っている。
最後に。
病気で死ぬと思っていたら事件事故に巻き込まれてそれより先に死ぬこともある。病気である人もそうでな人も平等に死ぬ可能性がある。そして、自殺をしていい権利もある。そういう事実があることに救われる人もいるのではないだろうか。
死ぬのが切実に怖いと思う。体が悪いにしても精神がぶっ壊れているにしても死ぬのはどこかで怖いんじゃないだろうか。
怖くない次元の人は確定で思いあえる家族がいたり恋人がいたり慰め合う励まし合う人がいるのだろうか。人間は言葉を交わすこと触れ合うことで、気持ちの受け渡しをしているが、それは一時的に救いにはなるけれど、長期的には救いじゃない気がする。
そういうときのために宗教や信仰というものはあって、自分が信じたいと思った概念は事実として自分を救ってくれることもあると思う。そうやって何かを信仰するというのも悪くは無いと思う。その宗教がアイドルや友達などの人間でも。自分が尊敬して信じれる人を信じるというのは幸せな事だと思う。
今日もしんどいことあるけど生きていきたいと思う。あなたにも生きてほしいと思う。