憲法の超基礎講座:憲法という弱者の国民を強者の国家権力から守るためのものを理解しよう
「憲法とはどういうものですか?」という質問を子供に聞かれてさらっとこたえられるだろうか?
憲法と言うのは、国民にとって最も重要な存在ともいえる。
それは、国家権力という、国民よりも圧倒的に強者である国家権力から、国民を守るためのものであるからである。
自分の身を護るための方法を知ることが重要であるのはわかるだろう。
誰かに脅されたら対抗するすべを知る。
誰かに覆われたら逃げるすべを知る。
誰かに騙されたら騙されないための知恵を得る。
このような自分を守るための手段を知ることは、自分を守るためだけではなく、自分の大切な家族などを守るためにもとても重要である。
国民にとって最も脅威となるのは、国民よりも圧倒的な力を持つ国家権力である。
国家権力との戦いは人類の歴史の戦いであり、今現在も続いている。
比較的、欧米諸国では国家権力との戦いが意識されてきた歴史である一方、日本人の多くは国家権力との戦いに関する意識が低い。
国家権力に権利侵害や人権侵害をされた時には、一般の国民を守る手段は憲法しかない。
その憲法というものがどういうものかを知ることは、国家権力という最も個人に脅威を与える存在から個人を守るために必要な知識である。
昨今では「国民の権利を守りますよ」という文句で、国家権力を増大するための憲法改正が日本の自民党から改正案が提示されている。
「あなたの事を守りますよ」と言いながら、身ぐるみを剥ぐような憲法改正が現在の自民党によって進められようとしている。
そのような状況下では、国民が憲法の事をまずは理解しなければ国家権力との戦いは出来ない。
そこでまずは憲法というものがどういうものかを解説する。
憲法というものがどういう存在かを知ることで、憲法によって国民を守っている力が破壊されようとしている現実を多くの人が理解できるようになれば幸いである。
そもそも、憲法というものは何故存在するかと言うと、国家権力に対して、弱者である国民を国家権力から守るために、国家権力の力を制限するために作られたのが憲法である。
ここで注意していただきたいのは、憲法というのは「国民に何かをしろ」というものではないということだ。
簡単に言えば、国家権力と国民とでは、国家権力が強者であり、国民は弱者であるが、「強者である国家権力は国民をいじめるな!」と定めているのが憲法である。
これが憲法の存在理由であり、これを具体化する内容が憲法に書かれているということを理解しよう。
憲法で最も重要な規程は13条だ。
13条では個人の尊厳と幸福追求権について書かれている。
全ての国民は個人の尊厳を尊重されると定められており、これは個々人がそれぞれ違うことを認めた上で個々人の人格の尊厳を尊重すると定められている。
つまり、一人一人の人間の人格が主体であり、個人が人格の主体として尊重されるということだ。
その上で幸福追求権というものが個々人に認められている。
ここで注意してもらいたいのは、「幸福権」ではなく、「幸福追求権」とされているところに大きな意味がある。
これは、人それぞれが違った人格の主体であることを前提に、個々人が追求する異なる形の幸せを個々人が追求することを国が権利として認めた上で、その個々人の権利を国は制限してはならない、と定めている。
この13条の概念は19条の思想・良心の自由や、21条の表現の自由、22条1項の職業選択の自由などに、13条の精神が現れている。
人はそれぞれ、自由に思想を抱いたり、自由に良心を抱いたり、自由に表現活動を行ったり、自由に職業を選択して仕事をしたりすることで、自分の人生を自由に生きようとする。
そのような様々な活動について、個人個人の違いを人格の違いとして尊重し、大切にし、決して国がそれを邪魔しないようにすることが定められている。
13条に加えて19条や21条、22条などは人権規定と呼ばれ、13条を頂点として、憲法の中で最も重要なものとして位置づけられている。
この人権規定と呼ばれるものには、二つの考え方がある。
一つ目は、「国民が自由に活動することを、国家は邪魔をするな!」というもので、憲法の学問では「消極的自由権」と言われるものだ。
二つ目は、「国民が困ったときには、国家は国民を助けてくれ!」というもので、憲法の学問では「積極的自由権」と言われるものだ。
ここで注意が必要なのは、一つ目の消極的自由権では国に対して国民は「邪魔するな!好きにするから放っておいてくれ!」という一方で、二つ目の積極的自由権では国に対して「何かをしてくれ!」と言っており、相反する内容となっている。
この精神は、基本的には国には放っておいてほしいが、貧困などによって生活が苦しくなったときには生活保護を国が国民に与えることによって守ってほしいというものであり、あくまでも「国は国民に何もするな!」というのが大前提であることを理解しよう。
国という国家権力が介入すると大抵の場合、国民の権利を侵害することが多いため、憲法では「国家権力は国民を邪魔するな!」というのが基本になっているのだ。
国民にとって最も重要な権利の中に表現の自由がある。
憲法で想定している表現の自由は、「AさんとBさんが浮気してる!」とか、「Cさんは〇〇の宗教を信仰している!」といったようなゴシップ的なことを自由に表現することをいうのではなく、政治的な意見を表明することを想定している。
つまり、民主主義社会において、公権力に対して国民が物申すことを自由にさせることで初めて、民主主義を健全に維持することができる。
「増税をやめろ!」とか、「パンデミック条約の中身を開示しろ!」とか、「LGBT法案を廃止しろ!」とか、「政治家は裏金をやめて税金を払え!」といったような、政治的な意見を自由に発言させるというのが、表現の自由を保障することの意味である。
表現の自由は民主主義社会の健全さを守るための最後の砦といわれており、国家権力に対して「おかしいじゃないか!」と物申す権利が保障されているのだ。
最後の砦という意味は、表現の自由さえ守られていれば、おかしな世の中を是正するチャンスが残されるという考えからきている。
憲法には人権規定の他に統治規定と呼ばれる、国家権力の統治について書かれた規定が憲法の後半に存在する。
国家権力は主に3つあり、国民に権利を制限したり義務を課したりする法律を作る立法、法律に従って国民に直接何かをする行政、国民が法的にトラブルに遭ったときに駆け込む裁判所をつかさどる司法、の3つだ。
中世の絶対王政時代などでは、この立法、行政、司法が全て国王の下にあった。
つまり、国王が国民に命令する法律を作り、その法律に従って国民に命令をし、国民が文句を言いに裁判所に駆け込んでも裁判所の判断は国王自らが行っていた。
こうなると、国家権力は全て国王に集中しているため、国民は全て国王に従わざるを得なくなる。
この国家権力の立法、行政、司法の3つを分離して、それぞれが牽制しあって統治する仕組みを三権分立という。
国民にとって最も危険なのは行政である。
現在の日本の制度でいうと、行政のトップは内閣であり、現在の行政のトップはサイコパス岸田文雄であるが、行政の力をいかに弱めるかというのが、民主主義社会の課題となっているというわけだ。
以上のように、憲法を理解するには、国民の基本的人権を守る人権規定と、国家権力を縛る統治規定があるという構造を理解すれば、憲法をほぼ全て理解できたことになると言って良いだろう。
大事なことなので繰り返すが、国家権力と国民とでは、国家権力が強者であり、国民は弱者であり、憲法では「強者である国家権力は国民をいじめるな!」と定めている。
憲法を改正案を出せるのは国家権力である国会議員だが、国会議員である権力者は常に、自分たちを縛り付けている憲法を緩めて国民に好きなことができるようにしたいと考えるものである。
現行の自民党改正案もそのような内容であることを全国民は知るべきである。
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