最近観たもの、アニメ

久しく記事を書いておりませんでした。
最近観たアニメの感想等を書いてきます。
今回は美少女ものが多いですね〜


※ネタバレあり。


『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』

通称「マイゴ」。大ガールズバンド時代1。
これは個人的殿堂入りアニメ!本当に久しぶりにストーリーが面白いと思ったアニメです。
「バンドリ!」シリーズの最新作なのですが、シリーズのこと知らなくても独立して観れます。自分も初めてみたバンドリシリーズです。

今まで観てきたバンドアニメとしては一番いいものだと思いました。なぜかというとちゃんと音楽が物語の原動力になっているから。
問題を起こすのも音楽=演奏だし、解決するのも音楽=演奏なのです。映像作品だからこその物語になっているのです。
10話のあの演奏シーンは、製作陣が音楽の力を信じきったからこそ生まれた名シーンだと思います。

主人公の所属するバンドのジャンルは「抒情系ハードコア」ともいうらしいが、作中ではポエトリーリーディングのスタイルが効果的に使われる(朗読的な歌唱、というかほぼ朗読)。バンドものとしてはその辺も珍しくて良いです。
正直今までポエトリーリーディングは斜に構えてみていたジャンルでしたが、マイゴの物語を追ってきた身としてそのエモーションや共感を体感することができ、このジャンルにハマる人の気持ちが少し理解できた気がした。
ラップもそうだけど、特定の共感性を重視するような音楽は苦手だったが、その価値というのを外野から想像することができるようになったと思う。
その点でもこのアニメは良いです。私は価値観を広げてくれる作品には雛のようについていくのです。

基本群像劇なのだが、ざっくり見るとダブル主人公な構成。
その一人の愛音(あのん)がバンドコンテンツ史上初なくらい音楽への興味がない、というのが素晴らしいです。愛音は自己顕示欲の塊であり目立つためにバンドを始めるのです。しまいには「そんなにガチでやるつもりないんだよな〜(八重歯)」みたいなことを言い出します。
一方、もう一人の主人公である燈(ともり)はジャポニカ学習帳風のノートを愛用しており、そこにダンゴムシや迷路の絵を描き続けるという小学生男子の精神性を持ち合わせた「早く人間になりたい」人物である。
他にも性格に難ありなキャラクターたちが入り乱れて物語は進んでいきます。
この「キャラクター」というものの扱いも非常に面白く、アニメキャラらしい"テンプレな造形"をはじめは感じさせるのだが、回を追うごとにその"テンプレ"が"個性"へと徐々に変貌していくのです。
例えば、テンプレアニメでは学校にあたりまえにいる「ですわ」口調の人物、それがなぜその学校にいるのか、というのが物語のキーになっていたりします。

昼ドラ、サスペンス、ミステリ?と少しの少年漫画、みたいなエッセンスがあり独特の味がするアニメです。
ギスドリ(ギスギスのバンドリ)とか令和の鬱アニメとか言われてますが、露悪的なところは一切なく、むしろその辺はうまく抑制が効いてるくらいです。

もっと書きたいことはありますがこの辺にしておきます。個人的には作劇がかなり良かったので分析記事を書いてみてもいいかと思ってます。

好きなシーンは、「座らない?」と言われて「うん」と言って本当に座らない睦と、そよに対して「あいつはもうダメだ」という立希です。

バンドリ!シリーズ

マイゴの影響でこっちもみました。アニメが3期まであります。1期は手書きで、2、3期は3D。マイゴが3Dなので2期で3Dになった時は安心しました。やはり演奏シーンはずっと動いていて欲しいですからね〜。無理に手書きである必要はないと思います。
3期の1話?かな、マスキング(キャラ名)のドラムソロシーンは一見の価値あり。今まで見てきたドラムのアニメーションで一番いいです。

ちなみにバンドリ!シリーズは覇権百合コンテンツらしく、作中で男は三毛猫のオスレベルでしか出てきません。


『ガールズバンドクライ』

大ガールズバンド時代2
こちらも3Dアニメのガールズバンドもの。3Dの表現が2Dセルライクの方向ではなく、しっかり3Dとしてのキャラデザになっているのが好印象(シェーディング?が滑らか)。その上表情は日本アニメの今までのノウハウが詰まっている感じ。Pixerの模倣ではない道が開かれている。

楽曲は最新の流行という感じ(『ぼざろ』『MyGO』の他の類似コンテンツは2010年代くらいの少し前のイメージ)。
それもそのはず楽曲作ってるのがagehasprings という蔦谷好位置はじめ最近の流行歌を手掛けてる音楽プロデューサー達が揃う会社なのである。
ボカロP的なスタイルを踏襲しつつ、POPsとしての高度な曲作りがなされていると思います。

お話の方は全体ぼやっとした感じはある。行ったり来たりな感じ。
『MyGO』に比べるとやはり物語を動かすのはセリフであり、問題が解決したことへのご褒美としての演奏シーンというイメージ。

演奏シーンのレンダリング?ライティング?はかなり凝っていてTVアニメでは中々みられないクオリティ。おそらく元からYoutubeなどで切り抜きをMVとして使うのが前提だからだと思われる。そこも含めて演奏シーンを物語から独立させなければならなかったのかなとも推測。

『ガルクラ』『MyGO』ともにYoutubeに公式が演奏シーンをあげているが、MyGOの方はガンガンにセリフが載った状態でそのまま切り抜かれてる。対してガルクラは先に書いた通り、独立したMVとして構成されている。そこにも対照性が見えてくる。

主人公のニナのキャラが立ってるので飽きずに観れます。人によってはかなりイラつくかもですけど。正論モンスターとスバルに揶揄されますが、正論というより、直情型脳口直結ノンフィルターモンスターという感じです。


演奏シーンの3D

『MyGO』『ガルクラ』ともに3Dです。演奏シーンがあるものはもう3Dアニメでいいんじゃないでしょうか。『MyGO』の方は常にフルコーラスで、『ガルクラ』でも一部フルコーラスで演奏シーンが描かれます。これも3Dの恩恵だと思います。
Mステで大体1コーラスしか歌われないことを不満に思っていたガキだった自分にはフルで曲が聞けることはそれだけで喜ばしいのです。


以降否定系


『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

バンドリ!を見てブシロードいけるやんとなって観ました。
けど、自分にはあまり合わなかった。どうしても『ウテナ』が頭にチラつくというか、『ウテナ』ほどのセンスを感じないので途中で見るのをやめてしまった。

バンクが機械が衣装を作るシーンなのもバンクとしてのキャッチーさに欠けるしバンクを入れる意味もあまり感じない。変身バンクというか変身前バンクであるけど、何かメタファ〜があるのだろうか?

演劇アニメに演劇的手段を使っているところが微妙というか、そもそものそれがウテナ的演劇手段に見えてしまうところがシュミラークル(オリジナルなきコピー)。
『ウテナ』は戦隊少女ものに演劇要素を持ち込んで作品としての独自性を出しているわけだけども。そこには異種交配があったのでは?

とはいえ、舞台美術を使ったアクションはアニメーションとして面白かったです。

『フリップフラッパーズ』

うん、、、
空っぽなアニメですねぇ。『ルックバック』の監督というので気になってみてみましたが、、、(『ルックバック』は結局見れてない)
これが『MyGO』と同じ脚本家なのが謎すぎる。

まず、物語は無視しましょう。「そういうアニメじゃねーから」とか言われそうだし。はい。無視した上で。

じゃあ”そういうアニメ”=”論理は置いといてクリエイターの想像力を浴びる”アニメだったとして。2話からアリスインワンダーランドのパロディが始まり、3話でマッドマックスのパロディ、その後も今回はループものでーす!とかいうように変奏曲風のやり口。
ここに本当にイマジネーションはあるのか?お前のピュアイリュージョンはそんなものか?

”そういうのも”楽しむアニメなんだよ。と言われたならもう、そこには中身がなくて動いてるだけで、動いてるだけならアニメーター見本市でテクニックしか見えてこないわけで。

『スペースダンディ』でも釣りのエセジブリみたいな回がありましたけど(それがこの監督の回)そこにも空っぽなメイみたいのが出てきてましたね。

セリフの9割が「パピカ!」「ココナ!」であり百合アニメだとしてもどうかと思います。

パロディ

パクリだと言われるのが嫌だから先回りしてパロディにしてしまうのは良くないことだと思います。


『響け!ユーフォニアム』ついでに『けいおん!』

京アニの有名どころですが、自分には肌に合わなかった。
『ユーフォニアム』は直で見てると胸焼けするのでちょいちょい分けてみていたけど、ついに試聴の手が止まり、『けいおん』は10分くらいでギブ。

なんでこんなことになったのか考えてみる。『ユーフォ』は別につまらないとは思わなかったのに。
やっぱり要因は過剰な演出である。決め決めのレイアウト、これみよがしな”細かい演技(アップ)”。この辺がどうしても気になる。

結局これみよがしに思える理由はその内容と表現に齟齬があるように見えるからだろう。つまり、表現の方が大袈裟に見える。特に表現のウェイトが重いと絵を描いてる人間の顔が浮き上がって見えてくるようで嫌なのです。
「センスを見せたがっている」ところが見えてくるのが胸焼けするのかもね。作品を見せたいのかセンスを見せたいのか。作品が見たいです。
(これはまた難しいですが、画面から見える作家の個性とも違うのです。)

やってることは他のアニメと同じ茶番(内容)なのに決め決めのレイアウトとライティングとモーション(表現)で見せられても、うーんとなってしまう。
『可愛くてごめん』の歌詞を達筆の筆文字で書かれている気分、もしくはお笑い芸人の公演のグラフィカルでオシャンなフライヤーを見ている気分というか。『天気の子』を見た時にも同じ感情を覚えたのだが、その時の感想は「擦り傷で救急車を呼ぶ」だった。

しかし、この内容と表現の齟齬を「齟齬」と感じるのはこちら側の文化・習慣の問題もあるし、その齟齬が新しい表現となることもあるでしょう。


テクニック主義

上の京アニの話や、『フリップフラッパーズ』のテクニック主義的なところは最近の作品に存分に受け継がれている感じがありますね。『チェンソーマン』などもその一つだと思います。これは一つ時代の要請でもあると思っています。

実は最近音楽でもテクニック主義的なものが流行ってると思ってます。高音主義、複数の歌唱法を多用する、など。バッキングの方もかなり高度だし、コード進行も転調多めで高度な進行!(複雑であることと高度であることはまた違いますけどね)
ハードロックやプログレなんかの時代を彷彿とさせますね。

で、なんでハイテクが時代の要請か、というと現代はSNS等でのショートコンテンツ、ツイートなどの細かくぶつ切りの断片化された単位の情報が主流であり、文脈から切り離されてコンテンツに触れる機会が多いです。
そういう"文脈から離れた時"でも人々に伝わるのがテクニックなのだと思います。
政治家の街頭演説と大道芸人の大技を想像してみれば良いでしょう。通り過ぎる短い時間でも大道芸人の技には心が躍るでしょう。

もう一つは総クリエイター時代というのも大きな要因でしょう。多少なりとも絵を描いてみたり、アニメを作ってみたりしたら、プロの技術が一朝一夕では手に入らないことがよくわかると思います。そういうものにある種の憧れもとい信仰が形成されているんじゃないかな。きっとその中で自分が優れた作り手であることを示せるととても気持ちがいいのでしょう!いいね!


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