無力の気づき 24.4.15
さっきまで、シュワちゃんの『コマンドー』を観て、ひとりでゲラゲラ笑ってた。
思ったより大きな声がでて、自分でもびっくりした。
気ままな一人暮らし生活も3年目に入った。
便利な街で、気に入ってるけど、あんまり好きになれる人間はいない。
だから、恋愛したいなー、とぼんやり思ってて、たまにお酒を飲んで本音を話せた気になって、小説に救われたつもりになったりしてるんだろうな。
大学生の頃は、活発に動いているコミュニティにいくつも属していたから、あまり寂しいとは思わなかった。
仕事以外にコミュニティをつくることも考えたけど、コミュニティのなかで自分が果たさないといけない責任を考えると、どうしても億劫になってしまうというか、だったら家に引きこもって、粗品の一人賛否でも観ていたい、ってなる。
仕事はそれなりに頑張ってる。
けど、あんまり上手くいかないことのが多いし、ずっとそれだけにのめりこめるような熱量が自分にはない。
結婚を諦める代わりに、世間に認められる作品をつくることに人生を捧げることにした、って言い切っている同期がいて、眩しかった。
本人は自虐のつもりだったのかもしれないけど、そういう生き方を選べる場所にいて、その生き方を選べない自分の中途半端さが嫌になった。
……元々はそのつもりだったのにね。
正直なことを言うと、自分のクリエイティブな才能は高校生のときがピークだった、と思う。
いまは、その残りカスを燃やして、何とか走ってる感じで。
自分ではそう思ってるから、仮に何か褒められたとしても、あんまり嬉しくない。
めんどくさいって分かってるから、ありがとうございます!ってきちんと喜ぶけど。
言葉にして伝えたい想いが、苦しいくらい17歳の身体のなかに詰まっていた。
教室は、私にとってほんとうの生きる世界じゃないと思っていたし、ほんとうの生きるべき場所にずっとたどり着きたいと願ってた。
自由になって、自分の好きな場所で、好きなように生きられるようになって、でもやっぱり、ここじゃない感があるのは、どうしてなんだろう。
ずるずると続けてしまった遠距離の彼氏との関係も終わって、もうここで生きていくしかないって、頭では分かってるのに。
思い出しついでに。
17歳のあの頃、知識のひけらかしって一番ダサいことだった。
批評家気取りが一番ウザいことだった。
なのに、周りの大人が「あれ読んだ?」「あー、あれはねー」って会話を延々と繰り広げてて、時々逃げ出したくなる。
「黙れよ!うぜぇよ!」って叫びたくなる。
流行りのコンテンツを追い続けるのが仕事で、感想を言語化するのが仕事で、なのにそれが下手くそで自信がないから、だからずっとうっすらつらい。
「わー、まだ読めてないです」「へー、そうなんですね!」を繰り返しながら、心のなかで泣いてる。
ここじゃない感って、つまりは、自分の無能さを悟ったってだけのことなのかな。
自分は何者でもないことをようやく認めなきゃいけないことがつらいのかな?
……え、でも何者でもないことはとっくに分かっていたし。
あれかな、なんだかんだ褒められたいのかな。
よく先輩に「同業者と付き合ったほうが、理解もあるし楽だよ」「社内恋愛が嫌ってのは分かるけど」とか、好き勝手アドバイスされる。
私も深刻に悩んでるわけでもないし、真剣に受けとめてるわけでもないから、単なる「会話」で、それはそれでいいんだけど。
でも、やっぱり、他業種のひとのがいいなー、って思うのは、そういう引け目なのかもしれない。
私は編集者として優秀ではない、ってことへの。
「あんま知らんけど、すげぇな」で、良い。
ほんとうに知ってるひとからの「凄い」は信じられないし、顔も知らない誰かからの称賛なんてもっと要らないし、だけど、たまには誰かに褒められたいから、そのくらいの距離感で、たまに夜道の散歩に付き合ってくれる相手がいればいいな、って思う。
夜道の散歩と海外旅行は、やっぱり女ひとりではできないことだ。
あと、私はシャンプーとコンディショナーを同時に使い切ることも下手だ。
どうしても先にシャンプーのほうが無くなってしまう(種類の違うシャンプーとコンディショナーを使ってる期間は、上下で柄の違う下着をつけてる時くらい気持ち悪い)。
飲み終わりの「そろそろ帰ろっか」も、何だか相手に失礼な気がしてなかなか切り出せない。
けど、もっと長く一緒にいたい相手ほど、「明日も早いよね?」みたいな遠回しな解散の空気を出してしまったりする。
痩せたいなーと思ってるのに、今日も白米をもりもり食べた。
月に2,3回、テレビつけっぱでコンタクトもつけっぱで寝落ちてしまう。
あまりにもできないことばかりなので、桜でも眺めることにします。