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世の中が変わるにつれ自分も変わっていくものなのだ

自分が好むと好まざるに関わらず、世の中とは自分の思惑など考慮せずに変わっていくものなのだなぁ、とつくづく思う。

若者が政治に関心をもたないと嘆く風潮があるが、最近はそうでもないように思う。それどころか、若い人はいかようにも煽動されやすいのではないかと危惧すら覚える。もちろん余計なお世話だ。若い人プラス政治、というとどうしてもヒットラーユーゲントとか紅衛兵とか連想する。経験値が少なく熱しやすく一途なところは好ましくも心配だ。大丈夫なのかと心配しちゃうのは歳のせいなのだ。

大切なのは知識量ではなく疑い一歩引いて俯瞰できるところだと思ってる。大量の本当か嘘かわからない情報の中でアップアップしている。同じ物事でも、まったく違うものの見方により印象はガラリとちがってくる。芥川龍之介の「藪の中」のように。フィクションなら面白いと思っていられるが現実場面となると話は別。

権威的なものが音を立ててガラガラと崩れていくのを目の当たりにしている。一体、自分が信じて信頼を寄せていたものは何だったんだろうと思う。それでも、日常の分厚さに支えられてまともでいられる。

信用、という長時間積み上げられなければ手に入らないものの大きさを改めて痛感する。信用はあって当たり前のものだった。それが当たり前ではなくなってきている。

話し合いによる解決は理想。それが一番いいに決まってる。しかし、それができるのなら警察も裁判所もいらない。弁護士もいらない。じゃあなんでそれらは存在するのか。紛争は止まないのか。所詮、なんらかの力による解決しか道はないのではないか、と思えてくる。

自国の為した悪行を教えないのは日本に限ったことではない。日本人の自己肯定感が低いのは戦争に負けたから、という極論を思いついたりもする
。そんなことばかりではないのだろうと理解しているけど。日本は戦争中こんな悪を成したとすごく詳しく知ってる人がいてよく勉強しているなぁと感心したのだが、何故それほど詳しいかと考えると「あー…」と思い至る。何事もちゃんと理由がある。

政治には興味がなかった。それでも生活は回っていた。今は情報が錯綜していろんなことが言われているけれど、何が真実で何が本当のことなのかわからない。声が大きい者の勝ち、と言われているようにパフォーマンスの派手な方が注目されがちだ。

言葉に惑わされてはならない。言葉は嘘をつく。政治が信用されないのは公約が守られず果たされないから。何を成したかどう行動したかが全て。その目的が何のためなのか注意深く見る必要がある。

政治についてあれこれ考える日が来るとは思わなかった。まあ、いい暇つぶしです。




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