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紅蜜柑水平線に日の凝り

応募してボツになった句。ボツはボツとして、個人的には綺麗にできた句として気に入っている。

紅蜜柑という品種がある。真っ赤な果肉で蜜柑は黄色という概念が揺らぐような色。この生命力あふれる色は太陽を連想させる。

冬の時期、水平線近い太陽は横に膨らんだり四角に見えたりする地域がある。北海道だったか。まんまるな天体が押しつぶされて楕円形に見える様は蜜柑を連想させる。

自分では蜜柑と太陽という取り合わせは気に入ってる。どちらも生命力を感じさせる。でも、蜜柑とお日様の取り合わせってありふれてるんだってさ。ありふれてる句は駄作なんだって。ふーん、これは駄作かぁ。でも自分は綺麗にできたと思うから好き。

もう一つの句が選ばれた。自分としては能登大震災の痛ましさとそこに希望があればいいという願いを込めたつもり。投稿当時はまだ色々と大変な状態ばかりがニュースで飛び込んできていた。

直接目にしたわけでもそこで暮らしていたわけでもないので、句にすること自体第三者の軽薄な思いでしかない気がしてためらいはあった。だから直裁な言葉は不用意に使いたくないし使えないなと思った。

ただ、正月というめでたい時に容赦なく降りかかる自然災害は理不尽な思いがしたしショックだった。ショックの度合いは当事者からすれば腹立たしいくらい小さなものだとは思うけれども、やはりショックだった。大してパンチのない句ではあるが、選者はどう受け止めるのだろうという思いもあった。多分、同じ経験をしないとわからないものがある。

その時の記憶や感情やらを思い返して句を作ってる。習いたての技巧を使ってみたりもする。大抵うまくいかないが、やってみたいという気持ちに駆られて挑んでみたりする。言葉などどうにもならないという絶望的な気持ちと、言葉が醸し出す風景を留めておきたいという気持ちもある。

凡庸な句をたくさん作っていいのは、初心者の頃まで、らしい。だから、初心者だ!と威張っていられるうちにたくさんの凡作を作っておかなければ、と思う。それから先のことはまだいい。

どこかの結社に身を置かずぐずぐずと作り続けていれば永遠の初心者でいられるのでは?とも思う。自分のためだけに作るのならそれも良いかと思う。誰かに認められたい、良いものを練り上げたい、地位や名誉を勝ち取りたい!と願うのなら話は別。 

いろんな思いがあるとエッジの効いたものは作れない。甘いんだろう。だから俳人は「人でなし」なんだろう。ちょっとそこまでいけそうにない。

瓦礫積もる河口漂う蜜柑かな












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