外人の顔してるけどハーフなんですか?
呉服屋の広告が炎上していると聞いて「どれどれ」と見に行き、内容以前にコピーのレベルの低さにあ然となりました。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/half-kimono
ぱっと見て、意味が理解できなかった。これはコピーとして成立していない。
それはともかく、
「ハーフのこどもが欲しい」
そんなことを言うひとは周りにいなかったし、きいたこともなかったので、驚いた。
いわゆるハーフやクォーターの子は友人や知人にも少なくないし、外国人と結婚して子供を持った友達もいる。私にとって彼ら、彼女らはみんなと同じにそれぞれの名前をもち、学校へいき、社会に出てきた人たち。気があったり、人として好きだなあと感じて、親しくなり、友達になった。
あの子がハーフだから友達になりたい、と思ったことは一度もない。
ハーフだから付き合いたいとも思わない。たまたま知り合い、一緒にいて楽しくて、多分相手も私を気に入ったから、友達になれた。とても普通の、人との出会いの流れでしかない。
でも、彼らと一緒にいるときに、第三者からこっそりと
「あの人、外人の顔してるけどハーフ?」
と尋ねられたことは何度かある。それも、いい大人から。子供から尋ねられた記憶はない。
私はちょっとショックを受ける。「外人の顔したハーフ」と形容すること自体は差別でもなんでもないとは思う。それでも、見た目で人の出自に興味を持ち知りたがることに、違和感を覚える。
私が話す言葉や立ち居振る舞いで、日本人、どこの都市で育った人、と見当をつけられることはある。それをいちいち指摘されることも時にはある。その時は「ええそうです」「いいえ違います」で終わる。私に直接尋ねられるから、直接答えるだけ。
あの人、ハーフ?
そんな風にその場にいる別の人に尋ねるということは、本人にきいてはいけないとなんとなく思っているからだろうか。それでも知りたいのだろうか。
さあ、どうだったかなあ。
私はあっさり答える。そこで話は終わり、と態度と目線で表しながら。
見りゃわかるだろ。内心そう思いながら、声を潜めて出自を知りたがる下卑た顔を少し軽蔑する。こういうことに興味を持つ人だったんだなあと。知らなかったなあと。
私にとって友人が濃い顔だろうと薄い顔だろうと、髪や肌の色が平均的な日本人とは少し違っていても、それもひっくるめて「友人その人」なので、外人の顔だなあと思うこともなかったからかもしれない。初めて会う人には、なんか違う、と感じさせるのかもしれない。
なんか違う。
その違いを、いちいち確認するのは大人としてぶしつけではないだろうか。
失礼ですけれどおいくつですか?
そう尋ねる人にも共通するのかもしれない。失礼だと思うなら聞くなよ。あんたの興味や好奇心、年齢でその場の立ち位置を作るやり方を、他人に振らないでちょうだい。
無邪気なのかな?悪気もないのかな?人の血の混じり具合や年齢を、何の考えもなしに尋ねてくる人というのは。
混血であることや、年齢を重ねることは恥ではない。その人の見た目が平均的な、それまで見てきた人たちと違っているから知りたいだけなのかもしれない。羨ましいのかもしれない。綺麗だな、外国人の血が入っているのかなと単純な好奇心なのかもしれない。
でも、そこ?その人について何か聞いてみたいのはそこ?
人との会話、その人について知りたいことのとっかかりはそこなの?
違う。なんか違うよ。
「あの人、外人?」と言われる友達のほぼ全員が、見た目で「外人」といじめられた子供時代のことを少し話していた。私は何も言えなかった。ただ、悲しい記憶を上書きするほど、今楽しく過ごせていたらいいなと願うしかできない。
大人になって、彼ら、彼女たちはあからさまにいじめられはしないけれど、やっぱりまだ「外人」と見た目で好奇心を持たれたり、こっそり確認される。そのことにイライラする。
「ハーフのこどもが欲しい」
この広告のコピーを書ける、それを公にする感性に対して
「あの人外人?」
と尋ねる人のひそめた声、下卑た顔を見た時と同じイライラを感じたのかもしれない。