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日本とアメリカの教育の「型」の違い

先日、日本教師教育学会のセミナーで日本とアメリカの公立高校の働き方の違いについてお話をしました。改めてまとめてみて新しい気づきがありました。

そのうちのひとつは日本の教育(生徒の学び方、教師の教え方など)には「型」があることです。

実際に、帰国子女と日本で育った日本の学校教育で学んだ生徒には学び方に「経験型」「固定型」という差があることが議論されています。帰国子女が自分の経験に基づいて学んでいく「経験型」で「努力をすれば成績を上げることができる」と自分を不可変なものとしてみているのに対して、日本のこどもたちは「固定型」で学習は辛いもの、入試のためのものなどといった捉え方が多い(佐藤郡衛,1994、*彼は経験重視型と知識重視型と読んでいる)

これは私も日本人教師としてアメリカで勤務した時に違うと感じた点です。

では具体的に、「固定型」と「経験型」の何が違うのか説明します。

日本の生徒は「固定型」です。教師の話を聞き、板書を写し、ワークやプリントに取り組み、提出、定期考査を学期に数回受けて成績が決まるという流れて学習することが一般的です。学びのプロセスが「固定」されれいるので、多人数を教えていても教師として誰がどの程度わかっているか、誰が提出物を出していないかなど把握しやすい。生徒が学びについて受身な感想を持ちがちなことも前述の通りです。

一方で、アメリカでは学びの個別化が進んでいて、日本のような「型」はありません。(日本のような型で教える先生がいないわけではないけれど全員ではない)生徒は自分がわかったと言わない限り「わかった」とは言いません。教師が見てよく理解しているなと思ってもそれを本人がそう思わない限り認めない子もいます。つまり、自分の経験を通して何がわかって、わかっていないのかを理解するプロセスなのです。だから楽しいし、自分に必要なものだという意味づけもできている。帰国子女の中にも学習は人格を豊かにするものだという回答が多いそうです。

もちろん日本の生徒も自分がわかったと思うことで理解は深まりますし、そのような生徒もたくさんいます。しかしわかってなくても「わかった」という生徒は少なくありません。そしてこれは結構大きな差をだと思うのです。

また、日本の教育現場でよく使われがちな根性・忍耐・努力・我慢などの価値観についてもこの「型」の違いが大きく影響しています。そして、それが教師の働き方にも少なからず影響しているのです。

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