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何のための教育か

と、考えるようになったのも授業が成立しないぐらいのクラスを教えた経験があったからだと、最近思うようになりました。私がコンピテンシー教育に強い関心を寄せるようになったのも、その経験が大きく影響しています。

授業が成立しないクラスの生徒というのは、基本的に学習意欲がありません。というと語弊がありますが、今まで学校で提供されてきたスタイルにおいてのが学習意欲がありません。でも登校しています。「高校卒業」が必要な資格だからです。面白いことや興味があることには反応するけれど、教師の独りよがりな話は基本的に無視。寝たり、クラスメイトと話したり、違うことを大きな声で話したりします。宿題はもちろんしませんし、提出物も出しません。授業には筆記用具も教科書も持ってこないし、学期中でも捨ててしまうこともあります(言い訳は親が間違って捨てたとか色々)テスト勉強や自宅学習なんていう言葉は存在していないのです。

学校全体を見渡してみれば、もちろんこのような生徒と真逆に存在するようないわゆる「いい生徒」ももちろんいます。それに上記の様な生徒って意外にどこの学校にもいるものではないでしょうか。ただ、「あいつは提出物出せない、騒がしい、勉強しない=ダメな生徒」で終わらせられているかもしれませんが。

私が「何のための教育か」を考えるきっかけになったのは、そんな子たちが大半を占めるクラスをたまたま教えていたからです。そして、一人一人を見て行くと、そんな子たちって可愛いのです。感情や感性が豊かで物事の本質をついた視点を持っていたりするのです。

そんな生徒を見てると、
・この子たちは教育に何を求めているのか。
・今の教育制度の何に反抗しているのか。
私たち教師はどのような能力をこの子たちにつけさせるべきなのか。
・なぜ彼らに英語が必要なのか。
・どんな授業なら聞いてくれるのか。
などど、日々考えさせられました。

彼らを見ていると、何のために教育をしているのかを嫌でも考えざるを得なかったのです。

英語科の教員としてまず考えたのは「英語を嫌いにならないこと」。詳しくは下に書きました。

そして、このクラスは私が今まで教えたクラスの中で一番記憶に残る、楽しいクラスでもありました。

その後、生徒の質に大きな変化があり、今ではそんな授業が懐かしく思えるほどになりました。しかしだからこそ、思えるのです。今、目の前に前を無知て静かに座り、教師の指示を静かに聞き、言われた通りに動くことが当たり前だと思ってはいけないと。

この子たちに何の能力をつけさせる授業なのか。どんな能力をつけて欲しいのか。コロナを経験した今だからより一層、そう考えながら授業に挑む日々です。

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Kae Takaoka
Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。