教師の自分を認められるまで
私は随分と長い間、教師として自己実現が出来ないままでいました。正直、今でもまだその途中にあります。
居場所のない学校
教師としての自分に自信を持てずにいた大きな理由は、学校には自分の居場所がなかったことでしょうか。ずっと、私だけが違う考えで、違うやり方で、違うものを信じていると感じていました。異なる方法や働き方、物の考え方、プロジェクトのやり方などを議論したいと思っているのは私だけで、周りの人々が疑問を抱かずに「今まで通り」やっていることに随分と違和感を感じていました。私は生徒指導の必要性(例えば、なぜツーブロックがダメなのか)を説明できないし、一斉授業をすると教師の私が飽きてしまうし、授業中に静かにしない生徒がいても全く気にならないのです。しかも子どもができてからは全く残業しなくなりました。
他の「普通」の先生方は生徒指導は疑いを持たずに指導できるし、一人で延々と話をすることも躊躇いません。授業中にうるさい生徒には自信を持って秒速で「静かに」と注意できるし、毎日、もちろん残業三昧です。
明らかに私は感覚がずれているようでした。そして、それによって責められたり、叱責されたり、嫌味を言われることもよくありました。セクハラ、パワハラも随分経験しています。
私は教師になる前に、アメリカで修士課程を取り、国内外で海外の方々と多く関わる仕事をしていました。学校での仕事の仕方や教育に対する見方が他の先生方と違っていたのは、私にとっての当たり前が学校のそれと大きく乖離していたからだと思います。
他の先生方と同じ価値観を共有できないことで、私は一人前の教員ではない、「普通」の教師ではないとずっと思っていました。生徒の前でも他の先生と同じように振る舞えないことが、意外にストレスだったりするのです。
正直なところ、教員採用試験も何の苦労もなく合格し、嫌なことがあればすぐに辞められるという心持ちでもいましたし、教職に固執していない自分もいました。
国際経験を生かす教育ができない現実
それでも私の中には確固とした「育成したい生徒図」がありました。アメリカで大学院に通い、仕事をし、また日本でも国際的な現場で働くことで、見えていたものがありました。自分が大学まで全て日本の公教育で育てられ、その後海外に挑戦する中で苦しみ葛藤した経験があったからこそ、どのような能力やスキルが求められているかと言う点においてはかなり確信があったのです。
しかし、実際には私の想像とはかけ離れた現実がありました。教科書やワークを使った授業が中心で、授業数も進度も決まっています。教科書では深められる内容にも限界があることもよくありました。自由になるのはテスト明けの数回あるかないかの授業ですが、できることは多くはありません。あとは1人で受け持つことができる選択授業で、こちらは色々と挑戦しましたが、逆に生徒や同僚から否定的に受け止められることもあり、伸び伸びできるとは言えませんでした。実際のところ学校現場は基本的に私自身が高校生だった頃から何も変わってないのです。正直、日本の公教育で教えてくれなかったから、私は海外であんなに苦労したのに、まだ昔と同じことを教えてるんだな、と落胆しました。
私の目に映る生徒が学校教育で得ている能力は、言われたことを言われたようにすること、静かに礼儀正しくあること、ルールを守ること、提出物を出すこと、そして筆記試験で高得点を取ることです。今ならこの能力(だけ)が日本の公立学校が生徒に身につけさせている輝かしい教育成果だと理解できます。しかし、これ以外にも生徒に身につけさせるべき能力はたくさんあって、それについてのアプローチやアプローチへの優先順位が驚くほど低いことに愕然としました。
教師をやめられなかった理由
ここまで教師を続けてくることができたのは何を置いても生徒の力です。生徒は本当に可愛いのです。かわいいというと語弊があるかもしれませんが、生徒には何者にも変えがたい魅力があります。これはもしかしたら日本独特の感覚かも知れませんし、女性や、私だけの感覚かも知れません。アメリカでは「生徒が可愛い」と言っている先生はあまりいませんでしたし(そこまで親しい関係性を築くこと自体が難しいというのもある)、男性の先生なんかは日本でも「生徒が可愛い」はわからん。というのをよく聞きます。
生徒はどんな子でも素直で、親や先生に言われたことに一喜一憂したりします。どんなに後ろ向きに見える子でも本当は一生懸命何かと対峙していたりします。授業の内容が彼らの人生に影響を与えることも、人間関係や人間形成に影響を与えることもあります。私たち生徒と共有する時間の貴重さを思えば、何ができるだろうかと考え続けるのが教師です。そして、どのような形でも反応し、返してくれるのが生徒で、そのキャッチボールに私は虜になりました。
アメリカの高校で勤務して得た教師観
私に、日本の公教育が教えてくれなかったスキルを最初に教えてくれたのはアメリカの大学でした。クリティカルシンキングやクリエイティビティの大切さ、自分の意見を論理的に伝えることで建設的に議論をする方法など、日本ではきちんと教えてもらえなかった事です。
アメリカの高校生はこのようなスキルを一体どうやって学校教育を通して身につけてるのだろう?渡米を決意したのは、その答えを知りたかったからです。アメリカの公立高校の様子が分かれば、日本の学校に何が足りないかが見えてくるのではないかと思いました。
アメリカの学校で勤務して得た気づきは他のページにも色々と書いていますのでここでは書きませんが、中でも私に大きな発見は、自分がいかに日本の学校教員であるかを確認できたことです。我慢しながらも、葛藤しながらも、10年続けたキャリアのおかげで日本の学校の仕組み、授業、評価、保護者対応などあらゆる面で自分の「日本の教員」としての引き出しが思いの外たくさんあることに気づいたのです。
ずっと自分は教師らしくないと思っていたけれど、意外に自分が驚くほどしっかり教師だと認識しました。これは、ずっと日本にいたらもしかしたらなかった気づきだったかも知れません。日本の学校現場にしかいなかったら、自分は当たり前の事が当たり前にできない教員だと思い続けていたかもしれません。
そして21世紀型スキルに出会いました。
これこそが、私が生徒につけさせたいと考え日本で模索していたもののイメージだったのです。私の感覚は間違ってなかったんだなと確信しました。今までやろうとして、ダメだった経験も信念も、自分の見方や考えが私だけの特別なものではなかったんだと気づけたのです。
私らしい教師像でいい
帰国して、ようやく私は私の信じるものを生徒に伝えていけばいいと思えるようになりました。私の育てたい生徒像は固定観念に囚われず、新しい環境や事柄に挑戦できる人です。そしてそのために必要になる能力を授業でできるだけ伝えたいと思っています。以前も、もちろんそう思っていましたが、今はもっと自信を持ってそう思えるし、生徒の前に立つ事ができています。そして、それが他の先生方に理解されなくてもいいと思えるようになりました。成績の付け方はこれでいいのか、授業の仕方はこれでいいのかと、常に自問している自分が以前は迷子のように感じていましたが、今はそれでいい(今の状況ではそう悩みながら最善を模索して進めるのがベスト)と思えるようになりました。自分という教師観の中にようやく居場所を見つけられたような感覚です。
次の挑戦へ
また、新しく書きたいと思っていますが、この9月からは新しいチャレンジを始めるつもりです。
奨学金をいただき、アメリカの母校の大学院博士課程に戻れることになったのです。まだコロナの影響で渡航できないため日本で働きながらオンラインで授業を受けるというイレギュラーな状況が始まりますが、今までの教員としてのキャリアを何らかの形でアカデミックな形にできればと考えています。
当面の課題は、自分の教師としての経歴を最大限に活かすこと。そして、日本の公教育は生徒にどこような能力やスキルをつけさせているのか、そして今後つけさせるべきかということについて、まだまだ考えていきたいと思っています。
応援していただけたら嬉しいです。
長文お読みいただき、ありがとうございました。